「真面目にやっているのに報われない」
「努力しているのに報われない」
誰かのことをそう評して、気の毒だと言ったりす
る。自分のことを振り返って理不尽だと思ったりす
る・・・。よくある話で、実際気の毒な人もいる。け
れど、世の中は世の中の力学や必然性によって動くの
で、個人の望みは世の中の流れに嵌まらなければ成就
しない。
気の毒ではある。が、私は報われない人にはもちろ
ん、報われた人にも尋ねたいことがある。
「自分には報いたでしょうか? 」
「自分に報いるために何かしたでしょうか?」
アタマは自分の望みを叶えようと活動する。その対
価として外(世の中)から報いがあると期待する。そ
の視線は外を向いている。けれど、アタマの背後には
忘れ去られた自分がいる。振り向いてもらえない自分
がいる。その自分に報いなくていいのでしょうか?
アタマは自分の一部なのに、世の中の端末としてば
かり機能して自分を顧みない。アタマが働いて報われ
ても、報われなかっても、どちらにしろ自分は報われ
ない。放ったらかしのままにされる。それがわたした
ちが満足して落ち着くことなく、不安を払拭しきれな
いまま生きている原因です。
アタマが世の中で報われようとしているあいだ、そ
の後ろで自分は黙ったまま立ち尽くしている。お預け
を食らったまま待っている。声にできない期待を抱え
たまま。
自分は何を望んでいるのか?
実は大したことは望んでいない。
ただ、振り返ってほしい。
後ろにいるということを分かっておいてほしい。
分かっていてくれるなら、それでいい。
それだけで、自分は報われる。
それだけでいいのに、自分に報いている人は驚くほ
ど少ないと見受けられる。
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