一般的な感覚からすると、私は世の中とはほとんど
関わらずに暮らしているけど、当然ながら完全に無関
係にはなれない。自分が拒んでも世の中の方から関わ
ってくるので、仕方なく付き合う。
以前に書いたこともあるけれど、世の中と関わるた
めには、エゴが必要だ。エゴイストになるという意味
ではなくて、世の中に対して自分の立場というものを
形作らなければ、関わりが持てない。泥の上に物を置
けば傾いてしまうように、自分というものが定まって
いないと、世の中の方がこちらと関われないので自分
を固める。その固まってみせたイメージが、ここで
言っているエゴで、そのエゴと世の中というエゴの集
まりとで、社会的に求められる作業が行われることに
なる。
私はエゴなど持ち出したくないのだけど、世の中と
関わるにはしようがない。生活ができなくなると元も
子もないからエゴを立てるが、エゴは区別と否定と防
衛が仕事のようなものなので、どうしても気持ちが荒
れてくる。ストレスが溜る。
「ぬかに釘」「のれんに腕押し」
自分が固まっていなければ、外からの作用が自分を
傷付けることはできない。私はできるだけグニャグ
ニャでいたいのだが、生きているとそうもいかない。
愚痴を言うのは馬鹿らしいので、固まっている自分を
いかにして面白がるかに想いを巡らせて、生活のやり
くりをする。
グニャグニャで決まった形のない存在。それが人間
の本質だ。けれど人と人は、関わり合うためにお互い
に形を求めるので、わたしたちは自分という形を持
つ。エゴを持つ。その結果何が起こるかは、誰でも実
体験としてよく知っている。エゴは自分を苦しめる。
他者も苦しめる。良いことはあまりないが、無くても
困る。
どう見ても困っている部分の方が大きいけれど、人
はエゴが自分そのものだと思いこんでいるので、まと
もに苦しみ続ける。
「ぬかに釘」「のれんに腕押し」「馬耳東風」
こういう言葉は性格の悪さを表すために使われるこ
とが多いけれど、私はこういう在り方を上手に現して
生きるのは素晴らしいと思う。
エゴを守るためにこういう態度をとると、ただの嫌
な奴でしかないが、エゴが仮のものでしかない場合
は、自然とこういう在り方になり「ものごしが柔らか
い」ということになる。
立ち上げたエゴを守ろうとして、カチカチに自分を
固めるほど、人は傷付き、他者も傷付けるけれど、人
はエゴを守ろうとすることをやめない。エゴが自分だ
と思っていてはやめられるはずがない。「自分が壊れ
る、無くなってしまう」と感じるから。
でも、エゴは世の中と関わるための仮のものでしか
ない。ネット上のアカウントやアバターのようなもの
だ。現実の世の中は「リアル」と表現されるが、現実
も「お話し」で出来ているし、そこで活動するエゴも
やはりアバターだ。
アバターの背後にいる本当の自分。
得体の知れない自分。
エゴから振り返れば、それはなんだかわからない気
味の悪いものに感じる。エゴは嫌がるけれど、世の中
の自分というアバターに実体を与えたままでは、苦し
み続けるだけになる。
グニャグニャの柔らかい自分。
「お話し」とは関係のない自分。
自由でとことんお気楽な自分。
それは、いつどこにいても、ここに存在している。

