前回ブログを書書き終えて、〈公開〉のボタンをポ
チッとして画面が切り替わったら、投稿の件数が901
になっていた。
へぇ〜〜、と我ながら感心する。よくまあ口から出
まかせを900回も書いてきたもんだ。「継続は力な
り」という慣用句があるけど、このブログには力など
無かろう。「継続はなりゆきなり」というのが実情を
表していると思う。ただ、私は“なりゆき”というも
のをとても大事に考えているので、ほのかな自慢のよ
うな気持ちも無いではない・・・こんな、のらりくら
りとした言い回しは嫌われるかもしれないけれど、自
分に正直に表現するとこうなってしまう。
思うに、“なりゆき”も大事だと思うけど、“のら
りくらり”も重要だ。ものごとをハッキリさせずに受
け止めたり、受け流したりしていくことは、生き方の
根本技法とでもいうものではないだろうか。
世の中というものは、とかく「白黒付けろ!」と圧
をかけてくるものだ。◯か✕か二者択一を迫る。しか
し物事はそんなに単純じゃないのが当たり前だ。いろ
いろと複雑なのが普通だが、複雑なまま抱えていると
しんどくて気持ちも悪いものだから、それが嫌なので
人は物事を単純に決め付けたがる。答えなんて無いこ
とにまで「答えを出せ!」と迫ってきたりもする。世
の中と、世の中にどっぷり浸っている人間には、曖昧
さをそのままにする精神的体力が欠けている。
そういう世の中で狂わされずに生きていこうとする
なら、“のらりくらり”は必須の技法だ。まともに世
の中と関わると、◯か✕かの戦いと防衛にエネルギー
を費やして疲弊してしまう。下手をすると飲み込まれ
て食い物にされてしまう。命が削られないように、上
手にかわしながら生きていく方が身のためだ。
けれど“のらりくらり”は嫌われる。“のらりくら
り”の対応は「実は正解なんか無い」と示唆するの
で、正解が有ることにしたい連中は怒りだす。
「ズルいだろう!」
“のらりくらり”とする人にはそういう非難も向け
られる。しかし、正解の無いことに正解があるかのよ
うな態度を取るのは、やはりズルいだろう。ズルいと
言うのに語弊があるなのらズボラと言ってもいい。途
中で分かったことにして止めてしまうのだから。
正直に、緻密に、世の中や人のことを考えて生きる
と、“のらりくらり”とならざるを得ないはずだ。
「こんなに複雑怪奇なのに、何も結論出ないわ」
そう思うはずだ。
このブログでは、言い切るということは少ない。あ
るとしても、さしあたりそう考えているということで
しかない。《 「正しい」とは、そういうことにして
おけば気が済むということ 》でしかないと、常に意
識している。
できることなら“のらりくらり”から“するりさら
り”という感じへ、バージョンアップできればカッコ
いいとは思うけれど、まぁそれもケースバイケースな
んだろう。

