今日テレビを点けると、睡眠にまつわる話題をやっ
ていて、神戸で行われたイベントを紹介していた。
大きな会場で室内オーケストラが人を眠りに誘う演
奏をしてくれて、飲み物と少しの食べ物が出され、そ
れぞれが用意されたハンモック・ビーズクッション・
リクライニングチェアに横になって眠る。料金は80
00円から12800円で、数年前から行われていて
チケットが取りにくいほど人気だそうだけど「世も末
だな」と思う。眠ることがイベントになるほど、現代
の日本人はアタマでっかちになっている。
とは言いながら、私も山を歩いては気分の良いとこ
ろで昼寝をするということを長く楽しんで来たのだか
ら、〈目くそ鼻くそを笑う〉ということなのかもしれ
ない。まぁ、人に企画してもらったりしてたんじゃな
いから、大分違うだろうとは思うけどね。
今の人たちはとてもイベントが好きなようだけど、
私はそもそもイベントが好きじゃない。よっぽど興味
があることでないとそういう所へ出向かないし、並ば
なければならなかったり、同じ気分の共有を求められ
そうな場合は、興味があっても行かない。
「こういうの良いでしょ?」
「これが必要じゃありませんか?」
「多くの人が楽しんでますよ!」
そういう誘いの言葉が目の前に浮かんでくるような
ことは、生理的に受け付けない。“仲良しこよしはな
んだか怪しい”(©井上陽水)。退屈でも家で寝てる方
がいい。お金も要らないし。
随分前に『くつろぐ』(2023/4)という話を書いた
こともあるけれど、現代人は誰かにくつろぎを用意し
てもらったり、くつろぎ方を教えてもらったりしなく
てはならないほど、自分の感覚と意識の繋がりが切れ
ているらしい。
どれだけ眠れているかをアプリで数値化して、睡眠
を管理しようとする。そんな自分に疑問を持たない様
子を見て、私なんぞは驚いてしまう。「いや、眠く
なったら眠ればいいし、眠りたいだけ眠ればいいや
ん」と。
「仕事があるから眠りたいだけ眠ったりできない」
とか言う。
「ホントに身体を壊しそうなぐらいなら、仕事を辞
めたら?死んじゃうよ」「続けていられるのなら、ま
だ大丈夫なんでしょうよ」と思う。
「わたしは不眠症なんだ」とか言う。
「眠れないなら起きていればいいじゃないか」と思
う。
アタマ優位が過ぎて、身体に任せられない様になっ
ているだけでしょう(ごく一部には、何か病的な原因
もあるでしょうが)。
私もとても眠りが浅いし、よく目が覚めてしまうの
で睡眠時間も短い。けど、自分はそういうタイプで、
それで一応暮らして行けてるし、本当に疲れた時は起
きていたくても起きていられない。何もしなくても
グッスリ眠ってしまう。そこは身体におまかせしてい
れば済むことだと思っている。
アタマに主導権を渡すと、眠れない、くつろげな
い。身体が「眠ろう」「くつろごう」と訴えても、ア
タマという管理者がせせら笑う「オレが都合の良いよ
うにしてやるよ」。
不眠症の人は、アタマのスケジュールで眠ろうとす
るから苦しむんですよ。私も昔はそうだったけど、そ
れに気が付いただけで随分楽になった。「アタマは
“眠らなきゃ”と言ってるけど、身体がそう感じてい
ないようだから起きてりゃいいか。そのうち限界が来
たら自然に眠るだろう」と思うようになった。
アタマが「明日も仕事だぞ!眠れ!眠れ!」と言っ
たところで、眠れないものは仕方がない。「静かにし
てな。余計に疲れる」とアタマに言い返す。そうやっ
て20年ほど過ごしたけど、別に健康を害したりしな
かった。
アタマはすぐに身体の方針に口出しする。その声が
ある程度社会にアップロードされると、イベントの告
知に姿を変えたりする。
「ご用意しました!眠りましょう!くつろぎましょ
う!楽しみましょう!」
需要と供給が生まれ、社会が動くことができる(商
売になる)けれど、そんなこと身体には関係ない。
一事が万事、アタマが口出ししてきても、社会が誘
い文句を言ってきても、身体や気分の内情に合わなけ
れば私は真に受けない。けど、無視もしない。
「言いたいことは分かった。検討しておくよ」
アタマも身の内、無礙にするのも可哀想だから。
