生きていると誰でも自分の無力さに心が折れそうに
なることがあるだろう。もしかしたら途轍もなく有能
で「そんなことを思ったことなどない」という人もい
るかもしれないが、たぶんその人はサイコパスだと思
う。できると踏んでいたことや、不安ながらもやらざ
るを得ないことに行き詰まり、挫折することは誰しも
が経験する。
「自分には力が無い」
そのように挫折するとき、自分の無力さを認めて、
「無の力」に自分を預ければ楽になる。
「自分がやる」「自分がしなければ」と拳を握りし
めるような思いを手放して「無の力」に従う。
『無・責任』(2024/4/14)『無心に・・・』
(2024/3/25)という話を書いたこともあるけれど、
わたしたちは〈無〉に動かされている。わたしたちだ
けでなく、この世界のすべてが〈無〉に動かされてい
る。人の思考や、そこに形作られる意味には収まらな
い働きによって動かされている。思考も意味も無い働
きだから〈無〉と呼ぶのがふさわしいような力に。
考え、意味付けして、何かを成し遂げようとして行
き詰まるなら、考えと意味付けを手放してみるべき
だ。そのとき「無の力」が表に出て働き始める。
もちろん、その働きの結果は当初目的にしていたも
のにはならない。想像すらしなかった所へたどり着く
ことになるかもしれない。けれど、必ず“落ち着き”
へと着地するだろう。人を落ち着かせなくするのは、
わたしたちの、考え、意味付けだからだ。
社会やアタマの求めるもののために、自分の落ち着
きを犠牲にするのは良い取り引きではないだろう。
生まれた時から、アタマの右往左往の背後で「無の
力」が自分を支えて来た。それは謙虚に振り返れば自
明のことだ(そのはずだが・・・)。
自分(アタマ)は無力
無力(無の力)こそが自分

