三週間ほど前から、You Tube で日本のライブカメラ
をリレーしてゆくチャンネルをよく観る。海外の人の
チャンネルだけど、日本国内の60箇所ぐらいのカメ
ラをループしてゆくもので、けっこう質の良いジャズ
と合わせているので楽しめる。人間が出てきて喋った
りしないので、鬱陶しくなることがないのが良い。
毎日観ているけど、昨日築地のカメラで映した夜景
を「本当にSF映画のようだ」と思いながら観てい
て、気付いたことが有った。
SF映画で描かれる未来は、荒廃した世界か高度に
管理された社会で、いずれにしてもディストピアとし
て描かれる。たぶん、SF以外も含めたこれまでのど
んな映画でもユートピアが描かれたことはないだろ
う。描かれていても、それは人が個性や人間らしさを
失ったディストピアとして描かれてきたはずだ。しか
し、なぜ真のユートピアは描かれないのか。
答えはすぐに見つかった。ユートピアではお話が作
れないのだ。平和で満ち足りた世界に語るべきお話が
生まれるわけがない。お話が生まれ、進行するにはト
ラブルが必要だから。
それに気付いたときに、現実の社会がユートピアに
ならない理由も分かった。わたしたちのアタマはお話
の中でしか存在できないので、社会のトラブルが無く
なるとお話もなくなり、アタマは存在できなくなって
しまう。アタマはユートピアを恐れているのだ。
科学技術がこれほど発達した現在なら、ある程度の
問題を容認するなら、社会は安定し平和になるはず
だ。けれども人は、精神的にも物理的にも新しいもの
を求め、次のフロンティアを目指す。その理由はさら
なる発展の為というように言われるが、本当の理由は
違うだろう。新しいことを始め、未知なる世界へ赴け
ば、そこには必ずトラブルが待っている。そして、ア
タマが存在価値を持てる新たなお話が生まれる。アタ
マはトラブルを欲している。
アタマはユートピアを求めていない。何も問題のな
い場所や時間は忌むべきものなのだ。わたしたちが退
屈をとても嫌うのは、アタマが存在意義を失うから
だ。
ライブカメラに映る東京や大阪の夜景はまったくサ
イバーパンクで、『アキラ』や『ブレードランナー』
の時代設定をもう過ぎている。けれど、幸いなことに
現実はまだディストピアにはなっていない。日本は平
和だ。今後も当分はディストピアにはならないだろ
う。しかしユートピアになることもない。上手くいっ
ても、程々の不安と不快感は維持される。アタマが
ユートピアを嫌う限り・・・。つまり、社会は永遠に
ユートピアを生まない。ユートピアはアタマの支配の
外にしかない。
