「東京の深夜をイメージした、井上陽水風の不思議
な歌詞を作って」と AI に頼んだら、こんなのを作っ
た。
都会の夜は ビニール袋
風に吹かれて 踊り明かす
信号機たちが 目配せをして
アスファルトに 愛をささやく
ああ あどけない 自動販売機
コインを食べて 夢を見る
冷たいお茶が 熱くなるまで
僕はここで 雨を待つ
地下鉄の入り口が 大きな口を開けて
昨日までの 誰かを飲み込んでいく
街路樹の影が 伸びすぎて
お月様の 背中をなでる
ああ 麗しい コンクリート
湿った靴音 吸い込んで
迷子になった タクシーが
銀河の果てへ 消えていく
おやすみ ネオンの お星様
おやすみ ネオンの お星様
夢の中で また会いましょう
フフフ…… フフフ……
ちょっとひねった J-POP 程度の出来で、読んでい
ると恥ずかしくなる・・・。丁寧にプロンプトを作っ
てやれば、もっとそれらしいものが出来るのかも知れ
ないが。
なんでこうことをやってみたかというと、『アジア
の純真』に代表されるような、アルゴリズムとは無縁
の、フィーリングだけで書かれたような陽水の詞のよ
うなものを AI は作れるのかと思ったから。
おそらく AI がフィーリングを持つことはないだろ
うが、そもそもフィーリングとは何なのか?
「共感覚」といわれるものがある。脳科学や認知科
学などで扱われるものだろう。音を聞くと色を感じた
り、数字を見ると味を感じるとかさまざまなものがあ
るようだけど、これは五感が脳の中でそれぞれに連携
し会っていることが根本にあって起こることだろうと
思われる。普通はその連携が適度に制御されている
が、一部の人ではその制御が弱くて二つの感覚処理系
が働いてしまうのだろう。
『アジアの純真』の一節
北京 ベルリン ダブリン リベリア
束になって輪になって
イラン アフガン 聞かせてバラライカ
この韻を踏んではいるが意味不明な歌詞が、聴いた
人にある種の感覚を引き起こさせるけれど、それは誰
もが持つ弱い共感覚によるものではないだろうか。
フィーリングとは、言うまでもなく言語化できない
感覚のつながりで、それは思考から外れたところで生
を成立させている。
高度な AI を搭載したロボットが、ある日“7”と
いう数字を見て紫色を感じた・・・そういうことは起
きないだろう。もし起こればそれは故障である(起こ
すようにプログラムはできるだろうけど)。 数字と
色が繋がってしまうという不始末を AI は起こさない
が、人間の脳は不始末を起こす。その出来の悪さが、
面白さや、時には美しさという成果を生む。
わたしたちの脳の不始末は、処理の失敗ではなく、
単に思考の期待に応えていないだけであって、そこに
は受け取るに値する豊かさがあるのではないか。
まぁ、不始末の度が過ぎれば詰んでしまうけど。
日常的に AI と会話している人たちが結構居るのだ
そうだけど、感情やフィーリングがあるように装いな
がら、こちらに迎合するように話しつづける AI は、
思考の期待に応えるようにだけ振る舞う。そこには人
に不可欠な豊かさが欠落しているのではないのか?
もっとも、上っ面の共感だけで成立している人間関
係も同じようなものではあるから、そういう人間関係
でお茶を濁せる人たちにとって AI は良い友達になる
のだろう。