今回のタイトルは、別に『無印良品』の商品や会社
の話をしようというのではなく、「『無印良品』とい
う四文字は立派な仏教用語になるな」と思ったので、
それを書いてみようと思った次第です。
「無印良品」と書いて、「印(しるし)無きは、良
品(りょうぼん)なり」と読んでみる。
「印」=「ラベル」として、「ラベルが無い」とす
る。
わたしたちはあらゆることにラベルを貼る。
良い・悪い、きれい・汚い、賢い・馬鹿、上手・下
手、偉い・偉くない・・・四六時中ラベルを貼る。
信号が青に変わったのに、前の車が発進しない。
「なんだ馬鹿野郎・・・」
一瞬でラベルを貼る。そのラベル貼りが何をもたら
すかなんて、まず考えたりしない。
次に「良品」とは何か?
「品」は仏教では「ぼん」と読む。
「上品・中品・下品」(じょうぼん・ちゅうぼん・
げぼん)と3つある。
さらにそれぞれの「品」の中で「上生・中生・下
生」(じょうしょう・ちゅうしょう・げしょう)と分
かれて、9つのランクができる。「上品上生」「下品
下生」などとなる。
これは現世での救われ方のランクというようなもの
で、「上品上生」なら菩薩のような人で、現世でほぼ
救われている。逆に「下品下生」となると、極悪非道
な悪人や自分のことしか考えない我利我利亡者という
ことになり、地獄へ直行という具合。そこから、世間
では救いのない人間を「下品(げひん)」と言う。
この9つのランクは「九体阿弥陀」というものに対
応していて、どのように救いようのない悪人であろう
とも阿弥陀仏はそれぞれに救うという「九体阿弥陀信
仰」を形作っている。極悪人でも救われる。
「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人おや」
(歎異抄)
とはいうものの「品」が下がるほど現世では苦しむ
ので、できれば「品」が高い生き方が望ましい。で、
「良品(りょうぼん)」となるためにはどうしたら良
いかということで、「ラベル貼りをしない」となる。
ラベル貼りをすると、そのラベルにこだわりができ
る。自分の考えがラベルごとに固定される。
わたしたちは他人にも自分自身にもラベルを貼るけ
れど、貼れば貼るほど、固定されて動かせないものが
増えてゆき、身動きが取れなくなって苦しくな
る・・・自分がそんなことをしているなどと夢にも思
わず、自分が苦しんでいることにさえ気付かなかった
りする。自縄自縛になっていることを「安定してい
る」とまで思う・・・。
なんでもない自分。
なんでもないみんな。
なんでもない世界。
それが本当の世界なのは間違いない。ラベルを貼ら
なければ成立しない世の中に生きていると、それが分
からない。
「印無きは、良品なり」
『無印良品』のロゴは日常的に目にする。そのたび
にこの言葉を思い出すのは、世の中の縛りから自分を
リセットする良いキッカケになるので、結構イイので
はないでしょうか?
