2026年3月15日日曜日

「仮説」でめぐる旅

 
 
 《 「正しい」とは、
 
   そういう事にしておけば気が済むということ 》
 
 
 このブログでもう何度となくそう書いてきた。それ
 
は言い換えると《 人が語ることはすべて仮説 》とも
 
言える。
 
 
 わたしたちは言葉を使ってものを考える。言葉は考
 
えを伝えるために有って、ひとりでものを考えて他人
 
に伝えない場合でも、自分の中で自分に伝えるために
 
ものを考えている。そして伝えるためにはお話し   
 
つまり「説」にしなければ伝わらない。
 
 
 例えば誰かに向かって「スイカ」と言ったとしよ
 
う。おそらく「だから何?」と言われてしまう。「ス
 
イカを食べたい」などと言葉をつないでお話しにしな
 
ければ話にならない。つまり、わたしたちは考え、伝
 
えるときに常にお話し  「説」を作る。そしてお互
 
いに「説」をやり取りし、自分のアタマの中でも
 
「説」をやり取りするうちに、その「説」が思考と人
 
間関係の基準になってゆるがせにできないものにな
 
る。「説」が「現実」になってしまう。
 
 
 けれど、「説」はすべてアタマが設定した仮設のも
 
  「仮説」でしかない。言葉は記号であって、指
 
し示すその物・事をそのまま伝えられないのだから常
 
に本当の世界との間に齟齬がある。
 
 ところがアタマは不安を消すために、そこにある齟
 
齬を無視する。「説」は自分のアタマの中のぐるぐる
 
回しか、人と人のアタマ同士のやり取りの中で「現
 
実」として扱われはじめる。そのようにして宗教が生
 
まれ、オカルトが生まれ、陰謀論が生まれ、学問が生
 
まれ、政治が生まれ、科学が生まれ、世の中が形作ら
 
れる。
 
 世の中からトラブルが無くならないのは、トラブル
 
というものは「仮説」と本当の物・事の間にある齟齬
 
が顕在化したものだからだ。そして「仮説」を「現
 
実」と捉える度合いが大きくなるほど、トラブルも大
 
きくなる。生きていることが大ごとになり、「仮説」
 
を生きることになる。
 
 
 わたしたちが考えていることはすべて「仮説」(こ
 
のブログも)。世の中で生きることは「仮説」でめぐ
 
る旅のようなものだ。そのことを忘れ、無視すればす
 
るほど、生きることの面倒さは増えてゆく。
 
 もちろん何も考えずに生きてゆくことは不可能だ。
 
でも、世の中は「仮説」によって形作られ動いている
 
ことをわきまえていないと、世の中のお話しに引きず
 
り回されることになる。
 
 
 途上国などでは、列車の外の手すりにつかまってい
 
る乗客がいる。日本でも昔はそうだった。あんな感じ
 
で世の中に乗っかっていれば、「変だぞ?」「危ない
 
な・・」と感じたときに、「さっ」と降りられる(寒
 
かったり、雨に濡れたりするだろうが・・・)。
 
 そんな風に世の中の「仮説」に乗りながら人生をめ
 
ぐって行くのは、面白いだろうし、人として望ましい
 
姿だろう。
 
 
 
 

2026年3月11日水曜日

未来を描くと

 
 
 ずいぶん前に「一寸先は透明」という言葉を使った
 
ことがある(『一寸先は闇か?』2022/9)。一寸先は透
 
明、未来は透明、意識上の物語を介入させなければ、
 
未来に何も見えはしない。

 
 わたしたちはごく当たり前に未来を思い描く。未来
 
に意識を向けると、自動的に物語を生成してしまう。 
 
ポジティブだったりネガティブだったり、期待したり
 
恐れたり、その都度物語の傾向は違うけれど、その違
 
いは未来に意識を向けた時点での気分に決定付けられ
 
る。今上機嫌ならポジティブな未来像を、今不安なら
 
不安な未来像を生成する。
 
 いずれにしても、その未来像は今の自分の気分が作
 
り出す幻影でしかないけれど、バカげたことに、自分
 
が作り出した幻影に実際の自分の行動が影響を受けて
 
しまう。良くも悪くも無意識に自らが生成した幻影
 
に、自分の未来を方向付けられてしまう。
 
 何の未来像も生成されなかった場合に訪れるはずだ
 
った未来は訪れることはなく、それがどのようなもの
 
なるはずだったかは知る由もない。わたしたちに訪れ
 
る未来のほとんどは、今の気分によって汚されたもの
 
だ。
 
 
 わたしたちは、今の気分に汚されていない未来をど
 
れほど受け取っているだろうか?
 
 期待も不安も無く、欲望や拒否からも自由なままに
 
未来を待つことがどれだけあるだろうか? 
 
 
 透明な未来を受け取ると、それは透明な今になる。
 
そして透明な今には、必然的に透明な未来がやって来
 
る。詩的な表現に過ぎるかもしれないけれど、そうな
 
るはずだ。
 
 
 わたしたちのアタマの介入しない未来を受け取るの
 
はどんな気分だろうか・・・。
 
 
 誰もそんなことを考えたりしないだろうけれど、
 
やってみる価値のあることだと私は思う。