わが家の横のヤマザクラのつぼみがかなりふくらんできて
いる。あと2~3日で咲くだろう。
サクラが咲くのは、サクラの力でもサクラの意志でもな
い。この世界のはたらきが、サクラを生かし、育て、花を咲
かせる。サクラ自体は無心だ(と思うけど)。
この世界のあらゆるものが無心だ。実のところ、わたした
ちも無心だ。なんだかんだとアタマが考えて右往左往してい
るけれど、「無心で “考えている”」というのが真実だ。
わたしたちのアタマがしてみせることには、サクラの花の
ように美しいものもあるけれど、顔をしかめたくなるような
ことも多い。でも、そのどちらもが無心になされることだ。
いや、「無心」によってなされることだ。
わたしたちが何をするのも、それによって生まれる結果も
「無心」のはたらきによる。わたしたちの働きじゃない。
わたしたちの前で起こることも、わたしたちが「する」と
いう体裁で起こることも・・・。
わたしがこういうことをいま書いているのも「無心」のは
たらきによる。
あなたがいまこれを読んで何かを想うのも「無心」のはた
らきによる。
“「無心」のはたらき” という考えを受け入れるか受け入れ
ないかも「無心」のはたらきによるので、なんともしようが
ないが、受け入れて「無心」の邪魔をしないようにできるの
なら、それは幸運なことだろう。自分があらゆる評価から解
放されるのだから。
「無心」のはたらきのなすがままを受け入れれば、たぶん
わたしたちもサクラのような花を咲かせることだろう。安ら
ぎがにじみだすようにしてね。
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