2025年3月17日月曜日

宗教とは?

 

 

 宗教とは?

 
 このブログを始めた当初からこのことを書こうと思いなが
 
ら、なんとなく後回しになってきた。別に避けていたわけでも
 
ないので、自分で「なぜなんだろうなぁ」とは思うけれど、
 
まぁ面倒な話であることは確かですね。これからその面倒をこ
 
なしてゆきたいと思います。
 
 
 まず始めにやらなければと思うのが「仏教は宗教なのか?」 
 
ということです。もちろん仏教も宗教としての部分が大きい。
 
お経を上げ、仏像などを拝んでお祈りをし、ご利益を求め、戒
 
律も有るし、極楽や地獄などの話も有る。そういう部分は宗教
 
に違いない。けれども本来釈迦が教えたのは、精神分析や哲学
 
のような考察と観察から得た、世界というものと生きるという
 
ことについての気付きです。それを元に、人が苦悩から解放さ
 
れ、穏やかに生きるために個人がどういう心構えであるべきか
 
という事を語ったのであって、信仰を求めたのではない。それ
 
が本来の仏教ですが、後の人々が人間的な色付けをして宗教に
 
してしまった。なので、宗教ではあるけれども、宗教ではな
 
い。
 
 キリスト教もそうでしょう。イエスも、ただ自分の気付きを
 
語っただけで、後の人々がイエスを祀り上げて宗教にしてしま
 
った。
 
 他の宗教については私はよく分かりませんし、個々に深入り
 
したくもないので触れませんが、基本的に宗教というものは
 
「帰依し、信仰し、教えに従えばしあわせになれる(極楽・天
 
国に行ける)」という形です。要するに、ご利益を頂く為の活
 
動ですが、それは取引です。「帰依し、信仰し、教えに従うか
 
ら、良い目にあわせてください」ということですから。だから
 
「神との契約」という言葉なんかも使われるのですね。
 
 そういう風に捉えると、宗教とは社会的活動の原初的なもの
 
だと思います。「社会の中の人」として良くあろうとするもの
 
で、個人が生きることとは直接つながっていない。社会的な繋
 
がりの中でしあわせを得ようとする活動ですから、教団や宗教
 
的コミュニティとの関りが重要になるわけです。
 
 ということで、どのような社会であっても宗教が発生する。
 
宗教は社会の成立と不可分です。無宗教な人や社会もあると思
 
われるでしょうが、そういう人や社会は、科学・経済・ヒュー
 
マニズムなどを信仰しているのであって、それらも宗教です。
 
違うように装っていますがね。

 
 以前『信じる者に救いはない』(2023/10)という話を書
 
いていますが、宗教は信じることを求めるものであるので、宗
 
教は人を救わない。
 
 一見宗教ではない、科学・ヒューマニズムなどの思想・お金
 
なども、いくら信じてもそこに救いはない。ひと時の安心は得
 
られるかもしれませんが・・・。
 
 
 なので私は宗教的な話はしたくない。このブログでは仏教な
 
どの話をさんざん書いているわけですが、それらのことを信じ
 
書いているのではありません。自分が知的に、あるいは感覚
 
的に「良い」と感じることを話題にしています。 
 
 
 とはいうものの、私も宗教的なこととは無縁ではありませ
 
ん。社会の中に生まれ、社会の中で生きているのですから、社
 
会的な部分の落ち着きを持つためには、宗教的な思考や感覚無
 
しではいられませんが、ご利益を求めて神や仏と取引する気は
 
ありません。それはあまりに不遜です。
 
 私が神や仏を拝むのは、この〈世界〉というものと自分が一
 
つのものであることを確認するための依り代としてです。信じ
 
る必要がないものの中で生きているということの気付きを見失
 
わないためです。(空や鳥やハエやゴミや地面だって拝んだり
 
します)

 
 社会で生きる上で、わたしたちに宗教は必要でしょう。それ
 
を否定する気はありません。ただ充分に気を付けないと宗教は
 
人を誤らせる。結局のところ、個人にとって宗教は関係のない
 
ものです。個人は宗教とは関係なく世界とつながっているので
 
すから。
 
 信じることをやめたとき、人は世界の真実を目にします。
 
 
 
 

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