家の前の縁石の隙間に、三年ほど前からカンサイタンポポ
が生えている。もう長いこと、街中で見かけるタンポポはセ
イヨウタンポポばかりだったけど、最近は少し事情が変わっ
てきた。近くの道路沿いや側溝ではエゾタンポポのようなタ
ンポポも何株か有る。
人間が、在来種の生きられる環境を攪乱し、改変し、一度
は追いやられた在来種が、街の環境に適応し始めたんじゃな
いかと思っている。残念ながらシロバナタンポポは戻ってな
いが。
アスファルトとコンクリートで固められた環境は、乾燥す
る。それに加えて、コンクリートから溶出するカルシウム分
で、わずかな土壌もアルカリ化する。それは、もととも酸性
土壌である日本で生きてきた在来種の多くには不向きなの
で、多くの在来種は街に住めなくなってしまったと考える。
ところが、高度経済成長から半世紀が経ち、街から追いや
られた在来種たちは、世代を重ねるうちに、何度も新しい街
の環境へとトライし、最近になって、街の環境に適応できる
ものたちが現われたのだろう。
今年は全国でクマの被害が多いという。山の木の実が少な
いから人の生活圏に出てくるというのが定説のようになって
いるけど、それだけではあるまい。
クマに限らず、さまざまな野生動物にとって、人間の作り
出した環境は異常で警戒を要するものだったろうが、五十年
の間に彼らは世代交代を重ね、彼らにとっても人工環境は当
たり前のものになり、人間の作り出した環境を問題視しなく
なったのだろう。もはや、人工環境も自然の一部になったの
だ。だから、札幌の市街地にヒグマが出てきたりする。
我が家でも、この夏はアライグマが来て、裏に置いてある
棚をひっくり返したし、玄関先をタヌキが駆け抜けたりもす
る。五年ほど前からは、町内にイソヒヨドリが住み着いてい
るし、十年ほど前からは毎年冬にジョウビタキがやって来る
が、そのような例は全国にいくらでもある。
街も、彼らの行動エリアに取り込まれた以上、人は野生動
物との関わり方を考え直さなければならないだろうね。時代
が変わったのだ。
神戸という町は、六甲山の南部・西部・北部を取り囲むよ
うにして成り立っていて、私は昔から南部に住んでいる。山
の 300~400mあたりまで建物が這い上がるように進出して
いて、以前は、六甲山を見ると、「自然を喰ってる」という
印象だったのだが、最近はその印象が変わってきた。
神戸市の政策でグリーンベルト構想というのが有って、六
甲山から流れる川沿いに緑地を保全してきた。その植生がか
なり育ち、海沿いから見ると山が街の中に浸潤してきてるよ
うに感じるようになったのだ。
「なんか、『ラピュタ』みたいになってきたな」とこの夏
に思ったりもした。
この先、自然はどんどん人間の作った環境に浸潤してくる
ことだろう。
それを「自然の反撃」というように捉える者もいるだろう
が、自然の中での人為の限界が露わになってきただけなんじ
ゃないだろうか。
人間のムチャな振る舞いに、少し面食らって引いていた自
然が、「なんてことないな」と元の場所に戻り始めたという
感じだろう。
「そんなのイヤだ。怖い、気持ち悪い」という人間の方が
多くて、今まで通り自然を排除し続けようとするかもしれな
いけど、そのコストはこれまで以上に大きい物になるだろう
ね。
『天空の城ラピュタ』のクライマックスで、シータがこう
言うね。
「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想な
ロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」
地面を覆い隠し、タワーマンションを建て、土から離れよ
うとして来たけど、所詮、人間は自然(土)の一部の存在。
たった五十年で、わがままは通らなくなってきたんだ。
シータは、ムスカという “観念の象徴” に、お下げ髪を切ら
れて少女から大人になる。そして、『ラピュタ』という “命
の象徴” を守る決意をする。
私たちも、もう大人になる時が来ているのだろう。
さて、私もいい大人なんだから、アライグマとどう付き合
うかを考えないと。厄介だけど・・・。
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