2024年7月5日金曜日

不可解な空白~『ビルの最上階』という曲のこと~



 井上陽水の曲に『ビルの最上階』というのがあります。そ

の曲は “楽観的にみても悲観的にも 不可解な空白が青空に

浮かんだまま” という歌詞で締めくくられるのですが、その

「不可解な空白」が十五階建てのビルの最上階に在って、そ

の下の各階では、人間たちがそれぞれに、その場だけのお話

しの中で時間と人生を消費しているといった曲です。


 わたしたちのアタマは「不可解な空白」がとても嫌いで

す。身の毛がよだつほど恐れていると言ってもいいでしょ

う。なので、空白があれば物理的かつ心理的にすぐ埋めよう

とします。そこには合理性のようなものがしつらえられます

が、そもそもが恐怖からの行動ですから、本当は合理性など

ありません。不条理な行動に合理性や正当性のようなものが

後付けされるだけです。ちょっと客観的に見れば、「アタマ

大丈夫かい?」というようなことが展開しています。

 曲の中でも「アタマ大丈夫かい?」という視点の、陽水の

シニカルな歌詞が続いてゆきます。(興味があれば聴いてく

ださい)


 私たちは常日頃、空白を埋めようと動き回っています。か

らだが動けなくてもアタマは動き続けて、思考の空白を埋め

続けます。

 断捨離などすると、空白を作っているように思えますが、

アタマの中は「自分は断捨離をしている🩷」という満足感で

埋まってゆきます。なので、断捨離し切ってしまって、満足

感が追加されなくなると、なんとも居心地の悪いことになる

はずです。アタマの中の空白を埋めるものが欲しくなるので

す。よほどの “宗教的達観” のようなものを身に付けている人

でなければ、きっとね。


 ビルの各階ではその場だけの不毛なお話しが繰り広げられ

ているのですが、それはそれぞれの階がそもそも空白であれ

ばこそ展開することができるのであって、“不可解な空白” は

最上階に限ったことではない。お話しの背後にはどこにでも

“不可解な空白” が広がっている。だから埋めて無いことにし

ようとしないで、在る(?)ものには目を向けた方が良い。

「不可解」ではあるけれど、それは「解く必要がない」とい

うことでもある。


 わたしたちの考えや行動になんら影響されずに、そこにあ

り続ける不変なもの、“空白” 。

 それを “楽観的” に見るか “悲観的” に見るかで、生きるこ

との感触は大きく違う。


 在るものを無いことにすれば、それは必ず問題を生むに決

まっているのだから、“楽観的” に見るのにしくはない。

 お話しはわたしたちを裏切るが、“空白” は決してわたした

ちを裏切ることはない。





 

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