世の中で起きるあらゆることについて完璧な知識を
持っていれば、次に起こることを計算できるのは、
少なくとも理論上は正しい。しかし、その知識にほ
んの少しでも見落としや誤解があれば、そのひび割
れはどんどん大きくなり、結果として予想は完全に
はずれてしまう。
ちょっと前に、こういう言葉を知ったのです。これは、ア
ンリ・ポアンカレ(フランスの数学者)の言葉だということ
なんですが、誰が考えたってそうなはずで、逆に「予想がで
きる」と思う方が異常です。そして〈 世の中で起きるあらゆ
ることについて完璧な知識 〉を持っている者などいませんか
ら、将来を予測しようなどと考えるのは愚かとしか言いよう
がありません。にもかかわらず、世の中では将来を予想する
人間があとを絶たない。「良い」とか「悪い」とか。
まあ、大雑把な予想をしてれば「そのようなこと」になっ
たりすることはあるでしょうし、たまたま予想が当たったよ
うに見える時もあるでしょう。けれども、そんなことが当た
ったところで何がどうなるというものでもありません。「あ
あ、そう」という程度のことです。当たろうが当たるまいが
それは起こるのですし、当たらなかったのならばそもそも予
測の意味も無いわけです。
将来を予想している暇があるのなら、今を大事に、丁寧に
扱うことを心掛けた方が遥かに良い。
今を大事に、丁寧に扱えば、次の瞬間を良い状態で迎えら
れます。そして、次の瞬間 次の今ですが を、また大
事に、丁寧に扱えば、また良い状態が迎えられる。そうして
良い状態が続いて行くことになるのですから、その先には良
い将来が有るはずです(いつから先を「将来」と呼ぶのか知
りませんけど)。
そして、「今この時」は、例えば一年前から見た「将来」
であるわけですが、今を大事に、丁寧に扱うのなら、一年前
から見た「将来」である今は、「良い将来」になっているわ
けです。大事にされ、丁寧に扱われて、良い状態なんですか
ら。
今まさに困った事が起こっているとしても、その事を大事
に、丁寧に扱うのならば、その姿勢が自分に落ち着きをもた
らすはずですし、落ち着かなければ、大事に、丁寧に扱えま
せん。たとえ状況が具体的に改善しなくても、落ち着きがあ
ることはとても好ましいことです。
たとえば、ガンになってあまり余命が無いとしましょう。
「なぜこんな目に合うんだ、ちくしょう!」
そんな風に自分の今をぞんざいに扱ったところでガンが治
るわけじゃない、今を大事にしなければ、今が荒れてしまう
だけのことで、状況はより悪くなる。
そのような時に、そのような状況とそのような自分を大事
に、丁寧に扱って落ち着きを持てることは、それだけ幸福な
ことではないでしょうか?
将来がどうなるのか?
まぁ、誰でも不安になったり、都合の良い明るい未来を思
い描いたりしますが、それは人間のおかしな癖だと認識しつ
つ、今を大事に、丁寧に扱って、今を良いものにする・・・
それは過去の自分に対する敬意の表れとなるし、将来の自分
に対して親切でもあるでしょう。
今、自分がどうするか?
過去の幸福も、将来の幸福も、今が決定する。
今というのは、途方もないものですね。
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