2025年5月12日月曜日

さしあたり····

 
 
 このブログを書いていると「さしあたり」という言葉をよ
 
く使うように思う。「しばらくは」とか「ひとまず」なんか
 
もよく使っているんじゃないだろうか。ものごとに完璧は無
 
いし、この世は諸行無常だと思っているから、おのずとそう
 
いう言い回しになるのだろうけど、それに加えて「さしあた
 
り」という言葉の持つ感じが好きなんだろうなぁ。
 
 
 いい言葉だと思いませんか?「さしあたり」って。 
 
 人生設計なんてことを考えるような人や完璧主義者は「さ
 
しあたり」なんてイラっとくるような言葉なんでしょうけ
 
ど、世の中何が起こるか分からないのが本当なんだから、な
 
んでも「さしあたりこれでイケる」というのなら御の字なわ
 
けです。
 
 
 で、この「さしあたり」が行き詰まる頃に、次の「さしあ
 
たり」をでっち上げられたらさしあたりオーケーなわけで
 
す。そうやって「さしあたり」を繫いで行くのが人生という
 
ものでしょう。でも、その人生の局面々々を「さしあたり」
 
という意識でこなしてゆくのと、「一時しのぎで・・・」と
 
いう「ちゃんとできていない」というような意識で過ごすの
 
とでは気楽さがだいぶん違うでしょう。
 
 
 いまの社会は、「将来の見通しを立てる」とか、「万全の
 
準備をして」とか、そういう観念を強く刷り込んできますけ
 
ど、そんなこと無理でしょ?人生のある一面だけに限れば可
 
能かもしれないけれど、「思い通り出世してお金も貯められ
 
た・・・けど事故に遭って歩けなくなった」「自分が夢に描
 
いた立場になれた・・・けど、世の中が変わってしまって価
 
値がない」みたいなことが起こるわけです。諸行無常です。
 
だから「さしあたり」の方が世の中の実情に合っているわけ
 
です。変化することを前提なわけですから。
 
 
 夢や目標を持って、それが実現できたら安心・・・なんて
 
ことを誰もが漠然と信じてる・・・けれど、そういう人が本
 
当に安心する時は来ない。そういう人の安心は、条件付きの
 
安心だから。
 
 
 世界は諸行無常だから、「こうなったら安心」はこうなっ
 
ても長く続かない。「さしあたりイケるから、まぁ安心」と
 
いう小さな条件で納得できる方が現実に即してる。さらに言
 
えば無条件で安心してしまえれば、その安心は永遠に続く。
 
 
 破壊的な出来事にみまわれてそのままにしておくと出来事
 
に潰されてしまうから、さしあたりなんとかするしかないけ
 
ど、さしあたりなんとかできたら大したものですよ。
 
 自分の人生に条件を付けないで、「さしあたり」を繫いで
 
生きて行けるなら、それはとても良い人生だと私はさしあた
 
り思います。
 
 
 
 
 

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