生きていると、しなければならないことや、社会から求め
られ期待されることにお尻を突かれる。仕方ないからやって
みたり、欲にかられてやってみたりすることになるけれど、
なかなか大変だし、できないこともたくさん有る。そういう
ときに、わたしたちはつい「出来ない・・」と情けなく感じ
たり、落ち込んだりしてしまうけれど、やってみて出来ない
のならしようがないわけで、その事実をないがしろにして自
分を情けないと思うのは、物事をはき違えてるだろう。事実
の方に重きを置くべきだ。
事実として出来ない。
それならば出来ないでいて当然だ。だって、事実として出
来ないのだから、その前にはどんな理屈や理想が出しゃばっ
てこようと相手にする必要はない。胸を張って、出来ないで
いていい。アタマの都合より、事実優先だ。
「なんで出来ないんだ!」
誰かからそういう風に咎められることはよくあるし、自分
自身をそんな風に咎めたりするけれど、事実に則した答えは
こうなる。
「出来ないから」
出来ないことを咎める心理というものが、誰もの心に刷り
込まれ、世の中に蔓延してる。
「出来ない」という事実を前にしてもそれを受け入れず、
誰かを、自分を咎める。事実を受け入れないなんてアタマが
おかしいと言うしかないのだけど、それがまかり通る。
昔働いていた職場に、仕事はいまいち出来ないけど気の良
いおっちゃんがいた。ある日、そのおっちゃんは上司にかな
り忙しい仕事をまかせられてだんだん余裕が無くなってきて
いたのだけど、そのおっちゃんが「間に合いましぇ〜ん」と
言いながらもマイペースでいたので、私は笑いながら少し手
伝ってあげた。その時私は、そのおっちゃんを「師匠だな
🤣」と思った。
「間に合いましぇ〜ん」
「出来ませ〜ん」
それのどこがいけない? 全然いけなくはない。事実とし
て出来ないのならそれでいいはずだろう。
「使えない奴!」
仕方がないじゃないか、そう思うのなら別の奴を呼んでく
ればいい。それだけのことじゃないか。咎めるのはお門違い
だ。
人は誰でも出来損ないだ。誰でも出来ないことがいろいろ
ある。それが事実なんだから、胸を張って出来ないでいてい
い。
「出来ることはするし、出来ないことは出来ない。出来な
いことを求めるなら、他を当たってくれ」
私はそういう考え方で世の中を生きてきた。だって、そう
するしかないじゃないか。(誠実であることが前提ですが)
出来ないでいる勇気を持つこと、出来ないでいることを受
け入れる度量を持つことは、これからの世の中ではとても大
事なことだろうと思う。自分の為にも、誰かの為にもね。