これまでにも何度か書いたように思うけれど、このブログ
は社会でイイ思いをする為に直接的にはなんの役にも立たな
い。むしろ却って邪魔になるかもしれないぐらいだ。けれ
ど、上手くすれば間接的には役に立つだろう。
社会の価値観を深刻に捉えないようになり、気楽に社会に
関わることでプレッシャーが軽減されて社会の中で良いパ
フォーマンスが発揮できる可能性はある。まぁ、そんなこと
があったとしても副産物・オマケ であって、このブログの
目的ではないけれど。
このブログをたまたま目にして、「もう少し読んでみよ
う」と思う人は、人生や社会の中で深刻な気分を感じさせら
れてしまっているか、以前にそういうことがあった人だと思
われる。まぁ、そんなことを言えばそれは人類ほぼ全員とい
うことになるけど、全員がこのブログを読んでみようと思う
はずがない。読もうと思う人は少数派だ。では読もうと思わ
ない人はどういう人かというと、「深刻さが、人生の価値を
逆説的に証明している」と無意識に思っている人だ。
「人生の価値は重い。だからこそ、少し何かが欠けただけ
でこんなにつらい・・・」そんな風に思っている。
でも本当は違う。人生に価値はないからこそ、深刻にし
て価値があると思い込もうとしているだけだ。そして、無意
識のどこかでそれに気が付いている。それは、“深刻ぶる演
技”と“自分の本心が持つ感覚を誤魔化す”という、二重の
自己欺瞞として自分を苦しめてしまう。
もしそういうタイプの人がたまたまこれを読んでいるな
ら、怖いだろうけど自分の心の底を覗いてもらいたいと願
う。
「自身で、元からそれに気付いているでしょ?」
違いますか?
ほとんどの人は気が付いているはずなんですよ。ただ、そ
れを直視する機会がなかった。そんな怖いこと、きっかけが
なければ誰もしませんからね。私の場合は随分昔にそういう
きっかけがあったので、こういうことばかり考えてきました
けどね。
「人生はなんということもない」
そう受け止めることは「人生は価値あるもので満たされる
べき大切なものだ」と刷り込まれてきたアタマには恐ろし
い。これまでのすべてが灰燼に帰すとでもいうような感覚を
覚えるだろう・・・。しかし、実際は違う。怖く思えるだけ
で、実際に人生の価値を軽く受けとめられたら、人生は気軽
に楽しめるものになる。本来の姿を現す。
人生は楽観すべきもの。
とはいえ、人生を「楽観」するのではない。
人生を、「楽」を「観る」場にする。
さまざまな出来事が伴っている「楽」を「観る」。
それこそが、人生を価値あるものにする。
縁あって生きている。人生の持つ「楽」に目を向けよう。
それは、深刻さを脇にどければ、いつでもそこにある。
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