前回の話を書き終えたあとに、自分で「唐突感が強
いなぁ」と思った。
一ヶ月以上ブログを書いていなかったところに、い
きなりイエスの言葉で始まる感じが、あまりこのブロ
グらしくない気がしたけど、何も計算や思惑はない。
出るに任せて書いただけなので、その面ではこのブロ
グらしいのだろう。
私は「行きがかり上で・・」ということは、なるべ
く排除して生きて行きたいと思っている。世の中のお
話しに引っかかって無理したり、上辺だけのことはし
たくない。それは自分も面白くないし、世の中に対し
ても誠実ではないと思うから。
とはいえ、直接に世の中と関わるときはそうせざる
を得ないことは多い。表面上、それなり安定している
お話をぶち壊すのは無粋だし、それをやるなら代わり
のものを提供して安定させてあげなければ不親切だと
思っている。だからお話に合わせる。
自分の自由にできる時と場所では「世の中のお話し
の行きがかり上で・・」ではなく、「自分が生きてる
上での行きがかり上で・・」を優先したい。その方が
先に書いたように面白いし、世の中に対しても誠実だ
ろう。
というわけで、前回の唐突さは「自分が生きている
上での行きがかり上」が形になったということが、
「世の中のお話しの行きがかり上」には相容れなくて
唐突に感じることになったというようだ。
「世の中のお話の行きがかり上」に合わせすぎると
ロクなことにならない。過労死したり心を病んだりす
る。
命の行きがかりに従って生きないから人は苦しむ。
“生きがかり”とでも言おうか。命の誘導に従って
生きてゆくことがしあわせだろう。
と、ここで前回の話と繋がったような気がする。行
き当たりばったりのでまかせも、気付かぬところで繋
がっている。「海の水を取っ払えば、陸地は全部繋
がっているようなもの」。大袈裟だけど、そういうこ
とのような気がする。 そして、この思いつきも何かに
繋がるのでしょう。行きがかりで次の話を書くかどう
かは知りませんが。
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