2026年4月6日月曜日

知ってられない

 
 
 
 ネットもテレビも、ここ最近はイランの戦争絡みの
 
ニュースが主体だけど、そんなこと伝えられてもどう
 
しようもない。あんな二千年前から揉め続けてるとこ
 
ろの話なんか構ってられないでしょ。まぁいろいろと
 
迷惑な話だけど、仲良くする気のない人たちだから仕
 
方がない。たぶん千年先でもやってるんでしょうよ。
 
 
 この世界では無数の出来事が常に起こっていて、現
 
代では24時間365日ニュースが伝えられ、人から人へと
 
口コミでも出来事が伝えられる。 その中で人々は
 
「へぇ〜、そう」「怖い」「ムカつく」「凄いな」な
 
どと反応しながら暮らしているけれど、それは自分か
 
誰かが取捨選択したごく少数の出来事についてであっ
 
て、その他の圧倒的に膨大な数の出来事は意識もされ
 
ない。もちろん人間の機能的にすべての出来事に意識
 
を向けることは不可能だけど、少しは無視している出
 
来事たちに意識を向けて見るべきじゃないのか?それ
 
はこの世界で確かに起こっているのだから。

 
 ネットを見て、AI に尋ねて、職場や学校やご近所で
 
話を聞いて、世の中のことを大まかにでも知った気に
 
なってしまうけれど、それはとんでもないことだ。単
 
に人の世の事柄だけをとっても、その数百万倍の事を
 
知らなければ「知った」というべきではないだろう。
 
それに加えて、人の世にはまったくお構いなしに、こ
 
の地球上だけでも無限に出来事が起きている。
 
 
 〔恒河沙〕という数の単位(10000×10⁴⁸)があっ
 
て、ガンジス川の砂の数のように無数という意味だけ
 
ど、「一粒の砂がここに在る」というのも一つの出来
 
事なのだから、この世界の出来事は〔恒河沙²〕ぐらい
 
無限に起きているだろう。要するにわたしたちは何も
 
知り得ない。知ったつもりになれるだけでしかない
 
し、さらに言えば“「知る」という概念”の約束事の
 
中で暮らしているだけだと言える。
 
 
 出来事は無限に在りすぎて、知ってられない。《群
 
盲、象をなでる》という言葉があるけれど、それどこ
 
ろの話じゃない。人が世界を分かろうとするなんて、
 
アリが日本地図を作ろうとするようなものだ。
 
 「何も知りようがない」
 
 そう肚を括るほうが健全だ。
 
 
 各々の暮らしの、手近の物語に丁寧に接していれば
 
それで良いのだと思う。
 
 知ったつもり、分かったつもりで繰り広げる人間の
 
馬鹿騒ぎ・から騒ぎに真面目に付き合う必要なんかな
 
い。
 
 知ったこっちゃない。
 
 知ってられない。
 
 その方が人として健全だろう。まぁ、その健全を気
 
に入らない人間が邪魔してくるんだけどね。 
 
 
 《善い人と正義の人に警戒を怠ってはならない!
 
彼らは、みずからの徳目(個人の平和)を考え出そう
 
とする人々を十字架にかけるからだ・・》 ニーチェ
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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