ネットもテレビも、ここ最近はイランの戦争絡みの
ニュースが主体だけど、そんなこと伝えられてもどう
しようもない。あんな二千年前から揉め続けてるとこ
ろの話なんか構ってられないでしょ。まぁいろいろと
迷惑な話だけど、仲良くする気のない人たちだから仕
方がない。たぶん千年先でもやってるんでしょうよ。
この世界では無数の出来事が常に起こっていて、現
代では24時間365日ニュースが伝えられ、人から人へと
口コミでも出来事が伝えられる。 その中で人々は
「へぇ〜、そう」「怖い」「ムカつく」「凄いな」な
どと反応しながら暮らしているけれど、それは自分か
誰かが取捨選択したごく少数の出来事についてであっ
て、その他の圧倒的に膨大な数の出来事は意識もされ
ない。もちろん人間の機能的にすべての出来事に意識
を向けることは不可能だけど、少しは無視している出
来事たちに意識を向けて見るべきじゃないのか?それ
はこの世界で確かに起こっているのだから。
ネットを見て、AI に尋ねて、職場や学校やご近所で
話を聞いて、世の中のことを大まかにでも知った気に
なってしまうけれど、それはとんでもないことだ。単
に人の世の事柄だけをとっても、その数百万倍の事を
知らなければ「知った」というべきではないだろう。
それに加えて、人の世にはまったくお構いなしに、こ
の地球上だけでも無限に出来事が起きている。
〔恒河沙〕という数の単位(10000×10⁴⁸)があっ
て、ガンジス川の砂の数のように無数という意味だけ
ど、「一粒の砂がここに在る」というのも一つの出来
事なのだから、この世界の出来事は〔恒河沙²〕ぐらい
無限に起きているだろう。要するにわたしたちは何も
知り得ない。知ったつもりになれるだけでしかない
し、さらに言えば“「知る」という概念”の約束事の
中で暮らしているだけだと言える。
出来事は無限に在りすぎて、知ってられない。《群
盲、象をなでる》という言葉があるけれど、それどこ
ろの話じゃない。人が世界を分かろうとするなんて、
アリが日本地図を作ろうとするようなものだ。
「何も知りようがない」
そう肚を括るほうが健全だ。
各々の暮らしの、手近の物語に丁寧に接していれば
それで良いのだと思う。
知ったつもり、分かったつもりで繰り広げる人間の
馬鹿騒ぎ・から騒ぎに真面目に付き合う必要なんかな
い。
知ったこっちゃない。
知ってられない。
その方が人として健全だろう。まぁ、その健全を気
に入らない人間が邪魔してくるんだけどね。
《善い人と正義の人に警戒を怠ってはならない!
彼らは、みずからの徳目(個人の平和)を考え出そう
とする人々を十字架にかけるからだ・・》 ニーチェ
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