2026年5月10日日曜日

明日死ぬとしたら

 
 
 
 「いつ死ぬかもしれないから、自分のしたいことを
 
しよう」
 
 「明日死ぬかもしれないから、いま自分のしたいこ
 
とをする」
 
 
 そういうことを言う人がちょくちょくいます。
 
まぁ、それはそれでいいと思いますが、こんな風な発
 
想も有ってもいいのではないでしょうか。
 
 
 「いつ死ぬかもしれないから、したいことなんか持
 
たずにいよう」
 
 「明日死ぬかもしれないから、何もしなくてもいい
 
な」
 
 
 なんとも景気の悪い話ですが、それなりに筋の通っ
 
た話ではないでしょうか。
 
 
 “したいこと” って何ですかね?
 
 なぜ「したい」んですかね?
 
 “したいこと” をしたら何か良いことが有るので
 
しょうか?
 
 
 “したいこと” って、そのほとんどは商業主義や
 
ヒロイズムに目が眩んでるだけでしょう。
 
 「価値有るものを手に入れたい」
 
 「価値有る人間になりたい」
 
 それは社会のお話しを維持する為と、社会のお話し
 
の中に自分をしっかり固定するためです。本質的には
 
自分と関係ない。
 
 まぁ、それが素直にしたいことなら特に問題はない
 
でしょう。生きていて楽しいことをするのは結構なこ
 
とです。私だって日々楽しいことをしている。が、そ
 
の素直さが自分そのものからの素直さなのか、世の中
 
に素直なのかでは全然違う。
 
 
 いちいちそんな事を区別しようなんて、素直じゃな
 
いですね。けれど「自分そのものから出てくる “し
 
たいこと” はなんなんだろう」と、よく吟味してみ
 
ることは大事なことだと思います。それは自分にとっ
 
て特に大事な “したいこと” を知っておくことだか
 
らです。そして世の中で自分が “したいこと” と区
 
別しておくと、世の中で自分が “したいこと” がで
 
きなくても、「まぁ別にいいか」と思えるでしょう。
 
「結局のところ余興だしな」という感じで。
 
 
 本当に明日何が起こるか知れません。誰でもが明日
 
をも知れぬのです。明日、生きて目覚めるかどうかわ
 
かりません。
 
 「明日死ぬとしたら、何もしなくていいんだな」 
 
 それは虚しいでしょうか?
 
 私は安らぎだと思います。
 
 肩の荷が下りる考え方だと思います。
 
 
 もちろん、日々の生活が続いて行くとして生きて行
 
くのが当然です。わざわざ世捨て人のようになる必要
 
はない。ですが、さまざまな事を「明日生きていたら
 
やろう」という姿勢で過ごすのは、気楽なものです。
 
 
 「何かをしなくても、何かにならなくても、自分は
 
自分をしているし、自分は自分であることは揺るぎな
 
いのだ」ということを踏まえていれば、明日死ぬとし
 
ても取りこぼしなどない。そうではないですか?
 
 
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿