2018年4月22日日曜日

空中元素固定装置


 《「空中元素固定装置」とは、キューティーハニーに内蔵

されたメカニズムで、空気中や周辺の物質を一端原子レベル

に分解して、あらゆる物に再構成させることが出来るもので

ある。》

 であるのだが、ここではキューティーハニーの話はしな

い。お話しするのは、実在する「空中元素固定装置」のこと

である。何のことはない。植物のことなんですが・・。


 今日、我が家のクレマチスを見ていて、「明日には花が咲

きそうだな」と思いながら、「しかし、空気中の二酸化炭素

や、地中の水や窒素なんかが凝集してこれになるんだものな

ぁ・・」と、あらためて自然の不思議というものを感じてい

たのでした。

 本当に、人の目には見えないレベルの物質が集められてき

て、葉や花や茎になってゆくのだから、考える程に不思議で

す。

 種が成長してそうなるというのが、当たり前の捉え方です

が、実質的には、〈種〉はそれぞれの種(しゅ)を形にする

ためのプログラムが入ったファイルであって、プログラムを

実行できる条件下に置かれると、自動的に始動して、必要な

原子を組み立てて行く「空中元素固定プログラム」なんです

ね。

 わたしたちは、植物に限らず「成長」というと、風船が膨

らんで大きくなるようなイメージを描くと思うんですが、実

際の〈成長〉は、「個体が、置かれた環境にあるものを自身

に取り込んで再構成することなんだ」と今さらながら思いま

した。

 〈成長〉とは、同じものが拡大されてゆく事ではなくて、

個体の可能性の範囲内で、付加的に変化して行くことだと。


 わたしは、わたしを保ち続けることは出来ない・・・。

 “今のわたし” が〈成長〉するのではない。

 次の “今のわたし” に変わって行くのだ。


 まわりの状況によって、何かが付加され、何かが取り去ら

れ、“今のわたし” が “別のわたし” に変わって行く・・・、

一見 “わたし” が続いて行く様に見えるけれど、それを “わ

たし” と呼んでよいのか? 

 “今日のわたし” と “明日のわたし” を続きのものと見るの

は、人間の便宜上のことと考えておくべきだろうね。(そう

しないと、世の中が成立しなくなっちゃうものね)


 わたしたちは、過去の行きがかりの中で生きることを余儀

なくされるけれども、それは便宜上の事であって、本質的に

は違うんだと思っていれば、ちょっと気楽に生きられるんじ

ゃないかな? 「過去は過去、それはそれ」と思えれば。


 キューティーハニーの様に、自由自在に姿を変えることは

出来ないけれど、わたしたちも常に姿を変えている。


 クレマチスが冬には枯れ、春には芽を伸ばし、そして美し

い花を咲かせるけれど、「枯れる」のも「芽を伸ばす」のも

「花を咲かす」のも、その時その時のそれぞれの在るべき

姿・・・。どれが良い悪いではなく、それぞれにその時に応

じたクレマチスの姿です。 


 人も、それぞれにその時に応じた姿を見せるだけ・・。

 「枯れる」ときには枯れているだけ、「花が咲く」ときに

は花が咲いているだけ・・。


 〈成長〉という話をしたけれど、〈成長〉という概念がそ

もそも間違いの元なのかも知れない。

 その時その時、「そう成る」だけ・・・。


 〈如是〉(にょぜ)という言葉がありますけどね、「かく

(是)の如し」という意味だそうですけど、「今在るそのま

んま」ということで、「今は今・・、だから今」、そんな感

じでしょうか。


 明日は、クレマチスの花の姿と会うのでしょう。

 花の時は、花を愛でる。

 そして私は、“花を愛でる私” の姿に成る。
 

 明日は、どんな私に出会うのだろうか。


 (今置かれた状況が、こんなブログとして固定されまし

  た。結局「成るように成る」というお話しでしたね。)








 

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