「わたしたちは、わけもわからないままこうして生きてい
る。ありがたいことではないですか?」
前回そんなことを書いて終わった。けれど、「生きてても
面白くないし、何もありがたくないよ・・・」という人も多
いでしょう。「ありがたい」という言葉を感謝の意味で捉え
れば、確かにそういうことも言えます。でも「ありがたい」
という言葉は、本来〈感謝〉を直接表す言葉ではない。
こと難(かた)し」。
感謝の念が湧いてくるような事は、有ることが難しい事で
あって、言い換えれば「滅多にない事」という意味。それが
好ましいことなら人は「ありがたい」と言う。
けれども、「滅多にない」という基準が適応できる事な
ら、好ましくない事でも「有り難い」と受け取ることができ
るのでは?
カミナリに撃たれて死にかけた・・・。あるいは死んだ。
「これは滅多にない!有り難い!感謝🙏」。 そういうの
は、有り?
そんなのナシですよね。けれど、有りにするのも面白いん
じゃないでしょうか? だって、それが起こってしまったのな
ら、拒絶したってしようがない。《 機嫌が悪い奴はバカ 》で
すからね。起きてしまったのなら、面白がってしまった方が
賢いでしょう。
嫌な事や、嫌な奴に関わると文字通り「嫌になる」。そう
いうのが続けば「生きてたって面白くない」という気持ちに
もなる。「こうして生きていることが、ありがたい」なんて
思えない。けれども、自分がこうして生きていることは「有
り難い」どころか、宇宙で二度とない事です。あなたも私も
宇宙でこれっきり。ここだけ、今だけ(なんかのキャンペー
ンみたいだ)。「有り難い」を超えている、空前絶後です。
その一方で、嫌な事や嫌な奴は「有りがち」です。
誰かに悪口を言われる。よくあることです。人はそればっ
かりやってるんだから。
犯罪に遭う。災害に遭う。そうそう遭うわけでもないけ
ど、そういうことが世の中によく起こるのは誰でも知ってい
る。珍しいわけではない。
そういう「有りがち」なことに次々出会いながら、空前絶
後の「自分」が生きている。「自分」の方にまなざしを向け
てみれば、その事はとてつもなく「有り難い」んじゃないで
すか?
私なんかそれを考えると「これはホントに凄いぞ・・・」
と感嘆してしまうんですけどね。
《 ここだけ 今だけの
「自分」という空前絶後のキャンペーン 》
私もあなたも、凄いことなんですよ🩷
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