2024年9月13日金曜日

人生を過ごす

 
 
 いかがお過ごしですか?
 
 
 このブログらしからぬあいさつで始めましたけど、前回のお
 
話しの続きのようなものを書いてゆこうと思います。
 
 
 「いかがお過ごしですか?」というのは、「どのように暮ら
 
してますか?」や「どのように生きてますか?」というのと 同
 
じ意味ですが、「どのように生きてますか?」というのは、結
 
構込み入った感じの問いかけですね。それに比べると「いかが
 
お過ごしですか?」というのは、かなりリラックスムードの問
 
いかけです。
 
 言葉を代えれば、同じことでも受け止め方や見方、感じ方が
 
変わることが多いものですが、生きるということを「生きる」
 
という言葉で表すか、「過ごす」という言葉で表すかでは、か
 
なり違うでしょう。
 
 「生きる」と言えば、なにやら「自分で生きなければならな
 
い」という感じが強いと思いますが、「過ごす」と言えば、自
 
分の人生が自分の前でほとんど勝手に展開して行くような感じ
 
がしますね。
 
 人生は「生きる」より「過ごす」方がいいんじゃないでしょ
 
うか?自分が動いて行くのではなくて、「過ごす」つまり「過
 
ぎさせる」。
 
 
 人生が、あるいは世界が自分の前で勝手に展開してゆくのに
 
任せる。
 
 自分が生きていることも、自分が生きるに任せる。
 
 世の中も、世の中の一部としての自分も過ぎさせてゆく。
 
 自分が動いて行くのではなくて、自分の前で動いて行く世界
 
を観ている、触れている・・・、 そういう在り方が本当は望ま
 
しいと思います。
 
 
 「暮らす」というのも、「暗くする」「暗くさせる」という
 
ことでしょうから、「一日を終わらせる」ということで、やは
 
り「過ぎさせる」というイメージでしょうね。
 
  「人生は過ぎさせてゆくものである」 
 
 そういう感覚があるからこそ、「過ごす」「暮らす」という
 
言葉が生まれたのでしょう。 
 
 
 昔の庶民がどういう言葉を使っていたのかは分かりません
 
が、日々を過ごすことに、「生きる」なんていうちょっと大袈
 
裟な言葉を使ったりはしなかったんじゃないかという気がす
 
る。現代は、人生というものをもったいぶって語ったり考えた
 
りし過ぎなんじゃなかろうか?
 
 
 人生はおのずと過ぎてゆくもの。
 
 大層に扱わずに、過ぎさせてゆけばいい。もったいぶったお
 
話しに惑わされないように・・・。
 
 
 いかがお過ごしですか?
 
 
 
 
 

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