2024年9月22日日曜日

高次の存在・・・

 
 
 【バカと煙は高いところへのぼる】という言い回しがありま
 
すけど、宗教の修行者とかスピリチュアル系も高いところへの
 
ぼりたがりますよね。
 
 こんなことを言うと、修行者やスピリチュアル系がバカだと
 
言っているようですが、そうではありません。【バカと煙
 
は・・・】という言い回しがふと頭に浮かんで、「修行者やス
 
ピリチュアル系もそうだよなぁ」と思っただけです。彼らはた
 
いてい「自分を高めたい!」と思っているものですからね。

 

 「ハイヤーセルフ」とか「高次の存在」とかいう言葉をよく
 
見聞きしますが、ああいう言葉は良いものではありませんね。
 
自己肯定感を満足させるために「ハイヤー」「高次」というエ
 
ゴ(自意識)が喜ぶワードが使われている。「自分は普通より
 
優れているのだ」と。
 
 
 いわゆる「ハイヤーセルフ」という言葉で表そうとしている
 
ものは、私の感じでは「0 次元」とでも表現すべきものであっ
 
て、すべての存在の本質です。誰にでも備わっていてエゴの後
 
ろに広がっているものなので、「つながる」「つながらない」
 
とか、上の階層にあるというものではありません。「エゴのお
 
話し」に目と耳を奪われなければ、いつでもそこに安らいでい
 
る自分が在るのです。
 
 その「安らぎ」を元に世界を見れば、人間関係などに悩まさ
 
れることは無くなりますけど(人間関係がすべて良好になると
 
いうことではありません。問題があっても、それが悩みになら
 
ないのです)、それは最も普通で、普通過ぎて忘れてしまって
 
いるのです。例えれば、地面のようなものでしょう。

 
 もしも地面が無かったら、わたしたちに何ができます?
 
  高く登るにしても、地面が無ければ登る足がかりが無い。登
 
るにしたって浮くにしたって、地面という対象との相対関係か
 
らのイメージですし、だいたい高いところへ登ったところで、
 
そこでなにをするのでしょう? 上から見下ろして悦に入るので
 
しょうか? 
 
 
 和尚(ラジニーシ)が講和の中でこのようなことを言ってま
 
す。
 
 
 〈ヒラリー(エベレストに最初に登った登山家)は山頂で何
 
を見ただろうか? 命を賭けて登り詰めたそこには何も無い。彼
 
は自分が愚か者に思えて当惑したことだろう〉
 
 
 ヒラリーが実際に何を感じ、何を思ったかは分からない。け
 
れど、彼が命を懸けたのは自ら作り上げた “お話し” であっ
 
て、それが妄想であることを、彼自身が心の底で知っていただ
 
 ろう。そしてエベレストに登り詰めた彼は、自らの妄想を取り
 
繕うために、あらたな “お話し” を紡がねばならなかっただろ
 
う。
 
 
 人は登りたがるけれど、登っているのは自分たちが作り上げ
 
た “お話し” のルートであって、そこに命にとっての意味や価
 
値があるわけではない。ひと時の興奮や優越感はあるだろうけ
 
れど、本当はなんでもない。
 
 
 いま立っている、いま歩いている、いま寝そべっているこの
 
地面が与えられていて、すべての人間の “お話し” はそこから
 
しか生み出せない。
 
 上ではなくて、わたしたちの下にあるもの。
 
 わたしたちの(まさしく)存在の基盤。
 
 そこにこそ、敬意を示すべき価値があるのでは?
 
 
 上を見るとき、わたしたちは最も大切なものを見失う。
 
 
 
 
 
  
 

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