「その場しのぎ」という言葉が良い意味で使われることはほ
とんどない。「テキトー」「ちゃんとしてない」という意味で
使われる。けれどちょっと言い方を変えて「その場をしのぐ」
と言えばどうだろう?「持ちこたえる」という、強さを感じさ
せる言葉になる。実のところ、人間も含めたすべての生き物は
その場しのぎで生きている。さまざまに変化する環境の中で、
その都度、どうにかしてその場をしのいで生きてゆくものだ。
「その場しのぎ」は決して悪いことではなくて、生き方の基本
だろう。
昔、六甲山のあまり人が通らない道を歩いていたとき、子ウ
サギを見つけたことがある。道沿いのやぶの下でジッとしてい
た。
顔の前に手を出しても身じろぎひとつしない。まばたきさえ
しない。「ぼくはここにいません。生き物ではありません」と
動かない。そうして目の前に現れた巨大で異様な姿の哺乳類を
やり過ごそうとしていた。
持っていたカメラで写真を撮り、しばらく眺めていたが、い
つまでも付き合ってもいられないので、私はその場を後にし
た。子ウサギは、無事その場をしのいだのである。
わたしたちは、ささいなことや荷の重いことまで、日々さま
ざまな問題に出くわすけれど、そのひとつひとつをあの子ウサ
ギのようにしのいでゆけばそれでいいのである。生きるとはそ
れだけのことだろう。
社会が当然であるかのごとく教える大仰な物語は、真に受け
ない方がいい。その場しのぎではない確固たる自分の在り方の
ようなものは望まない方がいいし、そのようなものは誰も持ち
得ない。幻想だ。
その場をしのぎながら、今日も一日生きおおせた自分という
ものは、なかなか大したもので、それで十分ではないだろう
か?
そもそも、その場しのぎでないことなどあるのだろうか?
その場しのぎではないこととは、どういうことを言うのか?
「その場しのぎ」の対義語を検索してみたけど、はっきりと
対義語と言えるものは無かった(一番それらしいのが「永続
的」だった)。それは、突き詰めて考えると「その場しのぎで
はない」と断言できるものは無いと、わたしたちが知っている
からだろう。諸行無常なのである。
生きることはその場しのぎのつながりだ。
何をしたかではなくて、つながってゆけばそれでいいのだ。
そしていつか、そのつながりが終わる時が来る。
「ああ、どうもお疲れ様 。面白かったかい?」
上手にその場しのぎを続けて来れたら、どこからか最後にそ
んな言葉が聞こえてくるような気がしないでもない。その場を
しのぐたびに、そんな声が聞こえるような気もする。
そういえば、ヤクザの言葉に「しのぎ」というのがあるね。
「稼ぎ」「儲け」のことだけど、 わたしたちはその場をしのぐ
ことで何かを得るのだろう。それはたぶん「上手くやったぞ」
という楽しみだろう。
何か具体的なものを得るとか、何かを成し遂げるとか、何者
かになるとかではなくて、生きているなら、その場をしのいだ
こと自体が楽しみなんだろう。
あのときの子ウサギは、私の姿が見えなくなった時、「やっ
たぞ😄」とほくそ笑んだかもしれないね。
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