2026年1月15日木曜日

徒然で草

 
 
 
 今日、吉田兼好の『徒然草』についての動画を見て
 
いると、“兼好は世の中と関わらなくなって暇だから
 
頭に浮かぶことを書いたのが『徒然草』になった”と
 
解説していた。なんだ、このブログと同じじゃない
 
か。
 
 
 「徒然」というのは、暇で手持ち無沙汰ということ
 
だけど、「草」はなんなのか?ちょっと調べてみたけ
 
どわからなかった。ということで自分で考えてみる。 
 
 
 「正法眼蔵」に《花は愛惜(あいじゃく)に散り、
 
草は棄嫌(きけん)に生(お)うるのみ》という言葉
 
が有る。「嫌っても草は勝手に生えてくる」というこ
 
とを引き合いに出して、「諸行無常、この世界に人の
 
思惑なんて関係ない」ということを戒める言葉だけ
 
ど、兼好も「草」を「勝手に出てくるもの」という意
 
味合いで『徒然草』という題にしたのだろう。
 
 しかし、今は21世紀。ネットの世界で「草」といえ
 
ば「笑い」です。今回のタイトルのように「徒然で
 
草」と書けば、「暇ですることなくて笑ってる😄」と
 
いうことになる。
 
 
 このブログが『徒然草』みたいなものなら、「手持
 
ち無沙汰で笑うしかない」というより、「手持ち無沙
 
汰だから笑ってしまう」あるいは「手持ち無沙汰だか
 
らこそ笑える」という姿勢でいたい。
 
 
 わたしたちは目的意識を刷り込まれているので、手
 
持ち無沙汰を嫌う。退屈を恐れる。それが人間の本性
 
であるかのように思っているけれど、本当は違うだろ
 
う。人の本性は、することが無い状況に安らげるはず
 
だ。アタマが不安になるのであって、本当はすること
 
が無ければ「あ〜、気楽だ」と寝転んでいられるもの
 
だろう。
 
 
 「徒」というのは「いたずらに」で、「然」は「し
 
からしめる」だから、「わけもなくそのようになる」
 
という意味でもあって、そこには意志が無い。目的も
 
コントロールもないので、なんの気負いも生まれな
 
い。「徒然」は草だ。気楽に笑っていられるはずだ。
 
そのはずなのだが、わたしたちは「徒然」だと不安に
 
なったり、罪悪感さえ持つように刷り込まれているの
 
で「徒然」を排除しようとしてしまう。
 
 
 「徒然」は草だ。この次「徒然」が訪れたら、そこ
 
に生えてくる草に触れられるよう、心にスペースを
 
とっておこう。
 
 
 
 
 
 

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