2026年1月18日日曜日

無常を見ているのならば

 
 
 
 「諸行無常」
 
 この世界は一瞬も止まらない。すべてが変化してい
 
く。けれども、変化していくのを見ることができるの
 
は、その視点が変化することを免れているからだ。目
 
の水晶体や網膜がグニャグニャと波打ったりするのな
 
ら、何も見ることはできない。意識もそうだろう。
 
 
 「世界は変化し続ける。自分の心とからだも変化し
 
ていく」
 
 
 そう意識しているなら、その意識の本体は変化して
 
いかないものであるはずだ。つまりわたしたちの本質
 
は不変であり、絶対の安定を保っている。なので、こ
 
う表現してみる。
 
 
 「諸行無常 真心定常」
 
 (しょぎょうむじょう しんじんていじょう) 
 
 
 新しい仏教用語を作ってしまったけれど、何も遠慮は
 
いらない。2500年前から、仏教を学ぶ者が思い思いに
 
作って来たのが今に伝わる仏教用語なので、現代人が新
 
たに言葉を作ることを憚る必要は無い。
 
 
 この「真心(しんじん)」は、いわゆる「真心(ま
 
ごころ)」とは違う。「真心(まごころ)」は「良
 
心」や「本来あるべき心の働き」ということだけれ
 
ど、私が「真心(しんじん)」という言葉で定義した
 
のは、心の働きの起こる“場”のことだ。
 
 
 世界は動き続け変わり続け、それに連れて心も動き
 
続け変わり続けるけれど、それらを観ている“場”は
 
変わらない。これまでも映画のスクリーンなどに喩え
 
てきたことを仏教風に四文字熟語にしただけのこと。
 
 それだけのことだけれど、形が変われば使い勝手も
 
変わる。
 
 「わたしたちの意識の本体は映画のスクリーンのよ
 
うなもの」と言うのと、「真心定常」と言うのではか
 
なり違うので、受け取り方も違う。どちらがしっくり
 
くるかは人によるので、同じことをいろいろな表現で
 
表しておく意義は大きい。
 
 
 どちらにしろ、“わたしたちの本質は「無常」を観
 
ている「定常」の存在なのだ”という自覚を持てるな
 
らば、それで「安心(あんじん)」だ。どれほど心が
 
揺さぶられても、それを傍観していられるのだから。
 
(「あんじん」は仏教用語としての読み方です) 
 
 
 
 
 
 

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