また正月が来た。「一年があっという間」というよ
り、この頃は「過去なんて有ったのか?」という感覚
でいる。私にとって、世の中の物語がかなり訴求力を
失っているんだろう。
いろんな事を見聞きして、その都度に私もそれなり
の感情が湧くけれど、それは“お話”だ。その“お
話”の中で泣いたり笑ったりしている人を一概にバカ
にしたりはしないし、それは人間的なことでもあるの
で尊重する。だけど、それでも“お話”だ。(もちろ
ん「バカだな」としか思わないことも沢山有る)
過去というものは、アタマの中に有る“お話”だか
ら、その“お話”が訴求力を失うと過去も薄まる。と
いうわけで、私の過去は薄っぺらくて軽いものにな
り、「過去は有ったのか?」という感覚になっている
ようだ。
このブログを始めて間もない頃、『未来はない。』
(2017/3)という話を書いた時に、過去と未来はセッ
トだといういうようなことを書いたと思う。「未来は
脚色された過去だから、未来を無いものと捉えると過
去も無くなる」という話だっただろう(記憶違いかも
しれないけど)。
過去はもう終わっているので、考えても暇つぶしぐ
らいにしかならない。未来は来ないから、考えても暇
つぶしになればマシな方だろう。
そのように過去と未来が薄っぺらくなると、過去と
未来から開放されて生きていることは軽くなり、過去
と未来が暇つぶしのネタになる。
過去と未来が暇つぶしのネタでしかないとなれば、
生きることはなんとも張り合いが無いのも確
か・・・、「軽さ」を取るか「張り合い」を取るか。
世の中は、親子ゲンカから仕事・趣味・戦争まです
べては張り合いで、そちらの方が需要が多いけれど、
それは誰もがそう生きるように刷り込まれていて、そ
れ以外のことを考えないように誘導されているのでし
ようがない。張り合いがなければつまらないのが人間
というものなので、私はそれをどうにかしようなどと
企んだりはしないけれど、「張り合うのも疲れる」と
いう人には「その感覚、大事にしたほうがイイよ」と
声を掛けたくなる。
大きな声で「過去も未来も暇つぶしのネタ」などと
言うと、世の中の壮大な“ちゃぶ台返し”になるの
で、どんな目に合わされるか分かったもんじゃない。
私には世の中を敵に回すような義理はない。生きてい
るなら気楽にいたいので、ネットの辺境で、何かのご
縁で出遭う人に向けてこんなことを書く。
私の過去はどこかへ行ってしまうけれど「書いたも
のは残る」(いつまでかは知らないが)。それは誰か
の単なる暇つぶしになるだけかもしれないし、上手く
すれば誰かが軽く生きるヒントになるかもしれない。
そうなるなら、それはなかなか楽しいことだけれど。
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