2026年1月4日日曜日

わかっていること

 
 
 さっき義姉から電話が掛かってきて、兄が亡くなっ
 
たそうだ。
 
  一昨年肺ガンの治療をして、その後また一度入院し
 
たあと、今回肺炎で入院していた。二日前に本人から
 
電話があって「そんなに大したことはないから、数日
 
で退院になるだろう」と笑っていたが、病状が急変し
 
たらしい。「大したことはない」と言いながら、本人
 
は「これはダメかも」という予感があって、めったに
 
連絡を取り合わない私に電話をしてきたのだろうと思
 
っている。
 
 
 七つ年上の兄は、父親を亡くした時にまだ幼かった
 
私を不憫に思ったようで、父親代わりとまではいかな
 
いが、可愛がってくれた。優しい兄だった。
 
 
 うちの奥さんは普通の人だから、知らせを受けて、
 
「人間わからないなぁ」と悲しんでくれたけれど、な
 
にもわからないことはない。誰でも死ぬ。
 
 兄自身も、一昨年に見舞いに行った時に「自分が死
 
ぬのは何も恐くない。ただ嫁さんと息子のために治療
 
してる」と言っていたし、その気持ちはよくわかる。
 
 世の中の標準からすると少し早いから、義姉さんと
 
息子のことを思えば無念さはあるだろうけれど、「仕
 
方がないな・・」と思っているのではないだろうか。
 
 
 これで私の親兄弟はいなくなった。「人が死んでも
 
悲しくない」という私でも、さすがに少し悲しいけれ
 
ど、私が兄を悲しがらせる側にならなかったのは、兄
 
への礼を尽くしたことになるのではないか。
 
 
 《 わたしたちは死から生まれてきた 》
 
 死は命の母体。ひと時の「生きる」を終えたら誰も
 
がみんな、死へ帰る。
 
 
 兄は言っているんじゃないだろうか。
 
 「お先に。お前たちはもうしばらく面倒な思いをし
 
ときな」
 
 
 それが私の勝手な妄想でもいいではないか。
 
 誰でも死ぬんだから、そういう態度で受け止めるの
 
がふさわしいだろう。
 
 
 兄貴、お疲れさん。いろいろありがとう。
 
 
 
 
  
 
  

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