さっき義姉から電話が掛かってきて、兄が亡くなっ
たそうだ。
一昨年肺ガンの治療をして、その後また一度入院し
たあと、今回肺炎で入院していた。二日前に本人から
電話があって「そんなに大したことはないから、数日
で退院になるだろう」と笑っていたが、病状が急変し
たらしい。「大したことはない」と言いながら、本人
は「これはダメかも」という予感があって、めったに
連絡を取り合わない私に電話をしてきたのだろうと思
っている。
七つ年上の兄は、父親を亡くした時にまだ幼かった
私を不憫に思ったようで、父親代わりとまではいかな
いが、可愛がってくれた。優しい兄だった。
うちの奥さんは普通の人だから、知らせを受けて、
「人間わからないなぁ」と悲しんでくれたけれど、な
にもわからないことはない。誰でも死ぬ。
兄自身も、一昨年に見舞いに行った時に「自分が死
ぬのは何も恐くない。ただ嫁さんと息子のために治療
してる」と言っていたし、その気持ちはよくわかる。
世の中の標準からすると少し早いから、義姉さんと
息子のことを思えば無念さはあるだろうけれど、「仕
方がないな・・」と思っているのではないだろうか。
これで私の親兄弟はいなくなった。「人が死んでも
悲しくない」という私でも、さすがに少し悲しいけれ
ど、私が兄を悲しがらせる側にならなかったのは、兄
への礼を尽くしたことになるのではないか。
《 わたしたちは死から生まれてきた 》
死は命の母体。ひと時の「生きる」を終えたら誰も
がみんな、死へ帰る。
兄は言っているんじゃないだろうか。
「お先に。お前たちはもうしばらく面倒な思いをし
ときな」
それが私の勝手な妄想でもいいではないか。
誰でも死ぬんだから、そういう態度で受け止めるの
がふさわしいだろう。
兄貴、お疲れさん。いろいろありがとう。
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