2026年5月20日水曜日

懐かしい?

 
 
 
 私は音楽好きなので、 You Tube を開くとおすすめ
 
にいつもなにがしか音楽の動画がある。年代的に、昔
 
のシティポップや歌謡曲や AOR などが出てきて、そ
 
れを聴いたりするのだが、そういう動画のコメント欄
 
を見ると、結構な頻度で「懐かしい」という言葉が書
 
かれている。
 
 
 “懐かしい”? 
 
 
 私は“懐かしい”がわからない。 
 
 もちろん言わんとしていることはわかる。そのフィ
 
ーリングも理解はできる。けれど、私は“懐かしい”
 
という感情を持つことが無い。「なんだそれ?」とい
 
う感じがする。
 
 40〜50年前の歌謡曲やシティポップも、昔から
 
ずっと聴き続けているので、私にとってはずっとリア
 
ルタイムなのだ。“懐かしい”とは何なのか。
 
 
 音楽に限らず、昔暮らしていた町に行っても、昔の
 
知り合いに会っても、昭和の物を見ても、私は“懐か
 
しい”とは感じない。もちろん「ああ、そういうこと
 
もあったな」と記憶が蘇ったりは するけれど・・。
 
 
 “懐かしい”という言葉が使われる時、それはその
 
人にとって“済んだ事”なのだろうと思う。片や私
 
は、何も済ませていないということなのだろう。
 
 そうは言っても、当然済ませたこともいっぱい有
 
る。いまだに「仮面ライダーごっこ」をしているわけ
 
ではない。当たり前だが、そういう子供の遊びは「卒
 
業した」が、それは最早“懐かしい”などというもの
 
ではない。単なる思い出だ。
 
 
 “懐かしい”という言葉を使う人は、脱皮をするよ
 
うに生きてきたのかなと思う。人生の節目々々で、そ
 
れまでの自分は「もう古い自分」というような意識を
 
持つて、これからの自分とは切り離すのかもしれな
 
い。自分が“懐かしい”が分からないので、そのあた
 
りの感覚はよく分からないけど。 
 
 
 “懐かしい”という感覚は、過去を切るからこそ生
 
まれるものではないだろうか? リニューアルし、ス
 
テップアップするのが「成長」や「成功」だという意
 
識があって、その結果、経験した出来事は「過去」と
 
いう箱に入れられ、自分とは直接のつながりを失う。
 
“懐かしい”という感情は、そういう「つながりの無
 
さ」から生まれるものではないだろうか。 
 
 
 私は「縁起(因縁正起)」ですべてを捉える意識で
 
いるので過去を切れない。過去にこだわる気はないけ
 
れど、すべての過去の結果としていまこうしているの
 
だから、いまのこの私の中に経験した過去がすべて詰
 
まっている。だから“懐かしい”が生じないのだろう
 
と思う。
 
 
 “懐かしい”という感覚を持つことをバカにする気
 
はないけれど、「懐かしい」と言っているのを聞くた
 
びに、何か違和感を覚える。「昔関係があったけれ
 
ど、いまの自分にはあまり価値のないもの」という意
 
識があるように感じる。
 
 
 『日々新た』(2022/9)という話のときに書いたけ
 
が、「古いもの」は無い。それが物でなくても、情報
 
でしかなくても、いま伝わって来ているのならば、そ
 
れは「古くから有るもの」だ。本当に過去になったも
 
のは、情報さえ消え失せている。
 
 いま有るのならば、それは今のこととして受取るべ
 
きではないのだろうか?
 
 
 「懐かしい」と口にすることは、思いもよらず自分
 
の人生の丸ごとを粗末に扱うことかもしれない。
 
 その“懐かしい”とラベルを貼られたその事が、い
 
まある自分を成立させている一つの要素であることに
 
間違いはないのだから。
 
 
 
 
 

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