2026年7月7日火曜日

感覚に相談する

 
 
 
 「“反骨精神”って言葉聞かなくなったなぁ」
 
 今日、ふとそう思った。
 
 「もしかしたら若い子に言っても意味が通じないん
 
じゃないのか?」
 
 そんな気もする。
 
 
 世の中のルール、時には法律に対してでも、違和感
 
を感じたら抵抗するという人がかなり減って来ている
 
んじゃないかと感じる。 
 
 思想的な反抗ではなくて、人としての素朴なフィー
 
リングから「変じゃないの?」と感じて抵抗する・・
 
そういう人が減っているんじゃないんだろうか。
 
 まぁ、勝手に思ってるだけだけど、小学生などがと
 
ても真面目でききわけが良いこととか、SNS に些細な
 
マナー違反なんかを罵る書き込みがあふれたりするの
 
を見ると、世の中の決まりごとに対する批判精神が無
 
い人が増えているのではないか?人間的な余裕が無
 
く、反骨精神も乏しいように思う。
 
 
 『大人たちよ、おめでとう!』(2023/3)という話
 
で書いたけれど、今の日本社会は管理がとても強く
 
なって、管理され、管理の中で生きることに慣れた人
 
間が増えているだろう。もちろん無秩序な社会より秩
 
序正しい社会の方が良い。それに反対はしないけれ
 
ど、行き過ぎてしまっているのではないのか? 
 
 
 《過ぎたるは及ばざるより悪しき》と書いたことが
 
あるけれど、“アタマにとって望ましいこと=人間に
 
とって望ましい”とは限らない。ある程度までなら望
 
ましいことでも、行き過ぎれば問題を起こす。物事に
 
は“ほどほど”ということがある。けれども“ほどほ
 
ど”は中途半端でもある。その曖昧さを許容するゆと
 
りをなくしているのではないか。良い意味での適当さ
 
を・・。
 
 
 自分で考えるということ以前に、無意識に自分の感
 
覚に蓋をして、自分から余計な面倒を生み出さないよ
 
うにしているように思える。
 
 
 たった幅3mの道に信号が付いていて、車も来ない
 
のに赤信号だからと歩行者が律儀に待っている・・・
 
それは法律上正しいし、当人も別に変に思っていない
 
だろうけど、身体は「面倒だ」と感じていないだろう
 
か? その感覚を無視して抑え込んではいないだろう
 
か? もしそうなら、その微妙なストレスが、いつか
 
溜まり過ぎて思いもしない形で吹き出してくるかもし
 
れない・・・。SNS で攻撃的になる人間が多いのはそ
 
ういうことかも知れないじゃないか。

 
 コロナの頃、日本人の八割以上がワクチンを打った
 
けれど、私は打たなかった。荒唐無稽な陰謀論を信じ
 
たわけではない。コロナの発症率、重症化率、致死率
 
と、安全性の臨床試験をしていないあのワクチンの得
 
体の知れなさを考えると、打つ妥当性を認められな
 
かったからだ。別の見方をすれば、自分の身体の免疫
 
力を信頼したといえる。社会の声や雰囲気より、自分
 
の内面の声と自分の知識と経験の方が、私にとっては
 
大切だ。
 
 
 知性ある者は、かならず問いかける
 
 「なぜ?  なぜ、私はこれをしなければならない
 
 のです? 道理と重要性が納得できないかぎり
 
 私はそれに関わりたくありません」
 
 そうやって、人は責任をとれるようになってゆく
 
 
              和尚(ラジニーシ)  
 
 
 私の知性がどの程度のものかは知らないけれど、ど
 
んなことでも納得した上でやりたいし、そのことに責
 
任を持ちたい。そうしないと自己嫌悪で苦しくなって
 
しまう。その選択のためにつまづくことになっても、
 
納得できないことに唯々諾々と従うよりマシだ。
 
 
 責任を持たないことには喜びは無い。
 
 「これは自分が決めたことだ」と責任を持ったこと
 
は、上手く行っても行かなくても手応えが有る。誰か
 
がアタマで決めたことを吟味もせずに従って何が面白
 
いのだろうか? 自己嫌悪を感じないのだろうか? 
 
 
 「アタマは悪さをする」
 
 自分のアタマでも、誰かのアタマでも、私はアタマ
 
が言うことは必ず感覚に相談する。
 
 「こんなこと言ってるけど、どう感じる?」 
 
 それは人間として当たり前のことだと思うけれど、
 
世の中を見回すとそんな者は少数派らしい。 
  
 
 
 
 
 

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