《 世界が平和になれば、
ひとりひとりに平和が来るのではない
ひとりひとりが平和になって、
はじめて世界が平和になるんだよ 》
“平和ボケ”という言葉を使う人があるけれど、「もうちょ
っと考えようよ・・」なんて思っちゃうんですよね。
どういうことかというと、《 戦争だとかテロだとか、そ
の他の様々な危険だとか、そういった事なんか何も考えず、
「ぼーーーっ」としていられる状態を“平和”と言う 》と思
うんですけど、それは要するに「ボケてる」状態です。
ですから、「平和にボケてしまう」のではなくて、「平和
=ボケ」なのであって、ボケていられるぐらいなら、そこに
は平和が実現しているわけです。ところが、その状況を見て
「平和ボケしてる!」と非難する人が現れて来る。
その人は平和を非難している事になりませんか?
平和になって、「ぼーーーっ」としていると、「ボケる
な!」と言われる。なら、いつ「ぼーーーっ」とすればいい
のでしょう?「平和はお嫌いですか?」と訊きたくなってし
まいます。
「じゃぁ、テロの事も、北朝鮮の事も、中国の横暴もどう
でもイイと言うのか!」とか怒鳴られそうですが、私の答え
は二つです。
「どうでもいい」と
「考えましょう」です。
と、こんな答えをすると、また怒鳴られます。「答えが二つ
だなんてふざけるな!」と。
確かに、テロリストも非行国家も、(なにを怯えてるの
か、強欲病なのかは知りませんが)実際に暴力を働いてくる
可能性は有ります。だからと言って「平和ボケだ!」「目を
覚ませ!」なんて言われたら、さっきも書いたように、わた
したちは、いつ「ぼーーーっ」と平和にしていたらいいので
しょう。これでは永久に平和を享受出来ないですよね?
だから、まずは「どうでもいいや」と平和になってみたい
んです。そのうえで考えてみる。そして「防衛」だけではな
くて、「先制攻撃」も考える。
もちろん「先制攻撃」と言っても、ひとつの「情報戦」で
す。
たとえば「あんたたちも、非難や威嚇ばっかりしてない
で、うちらと同じ様に『ぼーーーっ』と平和にしません?」
なんていう外交は無理なのか?
そんな外交は人類史上一度もないでしょうが「日本が初め
てやってみりゃいいじゃん」なんて思うんですけど。
その一方で、「この国を守りたい」という志を持つ人達に
は、しっかりとした支援をして、準備をしてもらう。もちろ
ん、深い敬意を持って。
そんな外交は人類史上一度もないでしょうが「日本が初め
てやってみりゃいいじゃん」なんて思うんですけど。
その一方で、「この国を守りたい」という志を持つ人達に
は、しっかりとした支援をして、準備をしてもらう。もちろ
ん、深い敬意を持って。
「都合のイイこと言うな!」と怒られそうですが、「戦争
は最後の外交手段」といわれるように、自衛隊員の為にも実
際の戦闘は最後の最後まで避けなければなりません。その為
の「外交手段」として、「平和(ぼーーーっと、してい
る)」を見せびらかす・・・。それによって、世界の世論を
動かす・・・。
「オレたちも、ぼーーーっと、しょうか・・・」という方
向へ・・・。
世界中で人々が妄想して、興奮して前のめりに動いてる。
テロリストも非行国家もそうですけど、他の国やビジネスの
世界もそうですよね(だからビジネスと紛争がすぐ結びつ
く)。
だから、その興奮をなだめてあげてはどうか?
「一緒にぼーーーっとしょうよ」というアプローチに力は
無いのだろうか? やってみたら?
戦争や紛争というものは、基本的に縄張り争いですが、そ
「えっ?なんでぼーーーっとしないの? 何が不安なの?
何を怖れてるの?そんなの妄想じゃない? 世界はまだ滅び
ていないよ? なんでのんびりしないの? 今やってる事がホ
ントウに必要なの?」
そんなメッセージを、日本から世界へ向けて「ぼーーー
っ」と発信する。
「そんなの絵空事だ。ふざけてる!」
そう言われそうですが、その通りでしょう。
こんな事ほんとにやったって、テロは続くだろうし、非行
国家は相変わらずでしょう。でも、テロリストや非行国家を
力で無くす事も出来ないと思いますけど?
一つを潰せたとしても、また別のが湧いてくる。
そこは、相変わらず “力の論理の世界” ですからね。
だから、それも絵空事ですよ。
だったら、どうせ絵空事なら面白い方がイイ。
勝手に平和になって、のんびり・ゆったり・ぼーーーっと
して、テロリストが銃を構えて現れたら、「まぁ、一杯飲め
や」と酒でもふるまう(すぐ殺されるでしょうね)。そんな
ふうに過ごす。
だってね、平和に生きられないんなら、わたしたちは何の
為に生きてるんですか? 何度も言いますが、平和になって
ぼーーーっとしていてはいけないなら、いつ平和が来るので
すか? それこそ「ふざけんじゃないよ!」といいたくなり
ますね。
人の世界が、平和を望みながら、平和になったら “平和”
を非難する。そんな世界なら、人がそんな事を続けるのな
ら、もう人類は滅んだらイイんじゃない? 生き続ける価値
はないよ。
「戦争ハンターイ!」と言うより、
「平和さんせーい!」と言っときましょうか?
(問題の多い文章だねぇ。「オマエみたいなのは、真っ先
世界中で人々が妄想して、興奮して前のめりに動いてる。
テロリストも非行国家もそうですけど、他の国やビジネスの
世界もそうですよね(だからビジネスと紛争がすぐ結びつ
く)。
だから、その興奮をなだめてあげてはどうか?
「一緒にぼーーーっとしょうよ」というアプローチに力は
無いのだろうか? やってみたら?
戦争や紛争というものは、基本的に縄張り争いですが、そ
んなことやってるのがバカらしく思えてくるような “「ぼー
ーーっ」と平和な気分” を発信する。
「えっ?なんでぼーーーっとしないの? 何が不安なの?
何を怖れてるの?そんなの妄想じゃない? 世界はまだ滅び
ていないよ? なんでのんびりしないの? 今やってる事がホ
ントウに必要なの?」
そんなメッセージを、日本から世界へ向けて「ぼーーー
っ」と発信する。
「そんなの絵空事だ。ふざけてる!」
そう言われそうですが、その通りでしょう。
こんな事ほんとにやったって、テロは続くだろうし、非行
国家は相変わらずでしょう。でも、テロリストや非行国家を
力で無くす事も出来ないと思いますけど?
一つを潰せたとしても、また別のが湧いてくる。
そこは、相変わらず “力の論理の世界” ですからね。
だから、それも絵空事ですよ。
だったら、どうせ絵空事なら面白い方がイイ。
勝手に平和になって、のんびり・ゆったり・ぼーーーっと
して、テロリストが銃を構えて現れたら、「まぁ、一杯飲め
や」と酒でもふるまう(すぐ殺されるでしょうね)。そんな
ふうに過ごす。
だってね、平和に生きられないんなら、わたしたちは何の
為に生きてるんですか? 何度も言いますが、平和になって
ぼーーーっとしていてはいけないなら、いつ平和が来るので
すか? それこそ「ふざけんじゃないよ!」といいたくなり
ますね。
人の世界が、平和を望みながら、平和になったら “平和”
を非難する。そんな世界なら、人がそんな事を続けるのな
ら、もう人類は滅んだらイイんじゃない? 生き続ける価値
はないよ。
「戦争ハンターイ!」と言うより、
「平和さんせーい!」と言っときましょうか?
(問題の多い文章だねぇ。「オマエみたいなのは、真っ先
に殺されるよ」と言われるのは確実だし、実際そうなること
だろう。「非国民」と見なされてリンチにあうかもしれない
しね。ひとまず「平和とは、ボケるもの」だという見方を示
せたら、それで良しとしておこう。他に誰も言ってくれない
からね。ただ、一言付け加えておこう。これを読んで本気で
怒り狂う人は、「国を守りたい」のではなくて、「戦争がし
たいだけ」でしょうよ)
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