2017年3月11日土曜日

3.11




 今日は、東日本大震災から丸6年。


 あの日、仕事から帰った私は、テレビに映し出される津波

や火災などの映像に釘づけになり、ほどなくこう思った。

「・・・これは日本人の考え方を変えてしまうぞ・・・」

実際、災害は他人事ではないと、多くの人は今も感じている

だろう。しかし、残念ながら変わったのはその程度だった様

だ。もっと人間の本質的な部分を揺さぶった出来事だったは

ずなのに。

 なにもかもが呑み込まれてゆく、あの津波の映像を見た時

誰もが無常感(「無情」ではない)を持ったことだろう。

「この世界は、わたしたちの思い通りになるものではない」

そう感じざるを得ない、人類が今だかって見た事がない、強

烈な映像だった。

 そしてわたしたちは、人の営みの儚さに目覚め、改めて本

的な幸福を探し始めるだろうと。震災直後にはそんな声も

よく聞いたものだった。

 しかし、そうはならなかった。月日が経つにつれて、人々

は過去の自分に返って行った。被災者は元の暮らしを求め、

被災しなかった人々は、より安心で安全で快適な暮らしを求

め始めた。暮らしをサイズダウンすることでゆとりを持ち、

もしも大きな変化に見舞われた時には、身軽に対応出来る様

には進まなかった。一時はそう思ったように見えたが・・。

 その流れは意外でもあったし、「やっぱり」という感じで

もあった。世の中が根底から変わる、とてつもなく大きなチ

ャンスだったが・・・。(反原発なんていう狭い意味のこと

だけではなくて)

 わたしたちが得たものは必ず失われる。物だけではなく、

友達も、家族も、自分の命も、自分の世界も。

 無常の現実の中で、どう生きるのか?

 何を価値あるものとするのか?

 災害はまたやって来る。災害に限らず、望まぬ出来事は無

情に訪れる。わたしにも、あなたにも、何度でも。

 どうする?

  「災難に逢う時節には、災難に逢うがよろしく候

   死ぬ時節には、死ぬがよろしく候

   これはこれ災難を逃れる妙法にて候」
 
                     良寛

 もちろん、私も災難を望んではいないが・・・。





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