2017年3月18日土曜日

なぜ人を殺してはいけないか?



 「なぜ人を殺してはいけないか?」

《 人を殺してはいけないのは、それが人が人として

   安心して生きてゆく為の、最初の約束だから 》

  
 「なぜ人を殺してはいけないの?」

 そう問われて、納得のいく答えを出来る人は、ほとんどい

ない様です。 大抵は道徳的な答えに留まっていたりして、

本質を突く答えになっていないですね。

 私が思うに、人を殺してはいけないのは、それが人として

の最初の約束事だからです。(約束と言っても、暗黙の了解

で、不文律としてですけど)

 人は人と交わらなければ生きて行けません。太古の昔か

ら、人と人は共同することで生き延びて来ました。誰も一人

では生きて行けません。生まれてきたら、周りの人間から生

き方を学ばなくては、生きて行けません。生まれた時からラ

ンボーみたいな人間はいませんよね? 人は人の手を借り

て、はじめて生きられるんです。

 誰が、いつ、どこで、誰を殺してもいいのなら、人は人と

交わって生きてなんか行けません。いつ殺されるかしれない

状況で、どうやって人と交わることができます?人を殺して


いいのなら、共同体は維持できません。共同体がなけれ

ば、人は生きられません。だから人を殺してはいけないので

す。

 道徳的な理由ではありません。共同体の秩序を維持する為

です。

 「人は人を殺してはいけない」

 まず、その約束事があってはじめて、人と人とが共同生活

を始める事が出来るんです。


 「じゃあ、死刑はどうなるんだ?人が人を殺してるじゃな

いか?」。そんなことを言う人もいるでしょうが、共同体の

成員を殺した者は、もう共同体の一員とは認められません。

つまり、その共同体の中では “人” では無くなってしまうので

す。ですから、死刑にしても “人” を殺したことにはならない

んです。

 詭弁ですか?

 でも、死刑の論理はそういう事だと思いますよ。

 私は死刑に賛成ではありませんが、死刑が存在するのは人

間社会の自然な成り行きではある、と思います。そして、経

済的な側面もあるでしょう。

 人を殺す様な人間を、共同体の中に置いておく訳にはいき

ません。でも、終身刑にして生かしておくには、共同体に余

裕が必要です。殺人者を生かしておく為に、普通の共同体員

が飢えては話になりません。そうなると、殺してしまえとい

う事になります。では、なぜ裕福な国である日本で、死刑制

度が存続しているんでしょうか?

 気分でしょうねぇ。

 「凶悪殺人犯=死刑」という論理的な整合性は有りません

から、死刑は日本人の心情には合うのでしょう。

 一方、ヨーロッパ諸国では死刑制度は在りません。意識的

にか、無意識的にか分かりませんが、宗教的な理由があるの

かな?と思います。(余談ですが、死刑が無い一方で、犯罪

現場では、けっこう犯人を殺害しています。このあたりの事

は、ウィキペディアの『世界の死刑制度の現状』を見て、気

付きました。)

 私は「死刑制度が在ることには、賛成ではない」と書きま

したが、それを望む人が居ることは仕方がないと思っていま

す。

 なぜなら、家族を殺されたりして犯人の死刑を望む人を説

得する言葉を、私は持たないからです。(無いこともないの

ですが、受け入れてもらえる可能性はほとんどないです。タ

イミングが合うかどうかですね)

 ですから、死刑制度には反対ですが、認めます。ただし、

「条件付きで」です。

 その条件とは、“死刑の執行を刑務官に行わせない”という

ものです。

 日本では死刑執行のボタンを、刑務官が押します。五人で

五つのボタンを同時に押して、誰が本当の執行ボタンを押し

たのか分からないようにして、精神面の配慮をしていると聞

きますが、それでも、そのストレスは相当なものでしょう。

一公務員である刑務官に、その様な重い仕事をさせていいと

は思えません。日本には、“人を殺す仕事” は他に存在しない

のです。

 自衛隊員が任務として、人を殺した事は無い(と記憶して

いますが)。警官も凶悪な人質事件などでは、犯人を殺害す

ることは有りましたが、止むを得ぬ場合の結果であり、それ

が目的ではない。可能な限り、犯罪者は生かして捕らえて、

司法の裁きを受けさせるのが、日本の警察の姿勢です。

 そのような日本のなかで、刑務官だけが人を殺す仕事をし

なければならない。彼らは、普通の人です。それが、ある日

死刑を執行して、家に帰り、妻や子供と顔を合わせる・・。

そんなこと、させていいんですか? 一公務員ですよ?

 私は、死刑の執行ボタンは、死刑を求刑した検察官に押さ

せるべきだと思います。あるいは、被害者の家族や関係者

で、自分の手で死刑の執行ボタンを押したいという者に。

 「被害者の家族にボタンを押させるなんて、そんなヒドイ

ことを考えるなんて・・・」

 そんな声も聞こえてきそうですが、普通の人であって、本

来は事件と無関係な刑務官にボタンを押させるのは、もっと

ヒドイと思うのです。

 そして、もし誰も「ボタンを押す意思が無い」「ボタンを

押せない」場合は、死刑を取り消し、終身刑に変更すればよ

い。そんな風に考えるんですが、どうでしょう?




 

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