~「自分」というものは放し飼いにしておこう~
今日も仕事をして、買い物をして、花に水をやって、晩飯を
食べて、パソコンをさわって、いまはボサノバを聴きながらこ
れを書いている。
日々、朝から晩まで「自分」が何かをしている。
そのしていることを見ながら、「バカなことしてるなぁ」と
か「なかなか面白いことしてるじゃない」とか「コイツはどう
しようもないなぁ😅」などと思ったりする・・・。
「自分」を見ているのもなかなか面白い。
「自分」を放し飼いにしてると、余計なエネルギーを使わな
くて済むので楽だ。手綱を取って「自分」を思い通りにコント
ロールしようとしてるとあまり良い結果にはならない。
アタマというものは、「自分」というものも世界というもの
もよく分かっていないのに、分かったつもりで「自分」を操ろ
うとするものだから面倒を起こす。
「自分」は放っておけばいい。けれど野放しはいけない。本
能とエゴのままにさせておくと、とんでもないことをしでかす
だろうことは誰にでもわかる。なので放し飼いにする。「ここ
から出てはいけない」という大枠をふまえた上で、その中で好
きにさせておく。〈自分〉は母屋で椅子にでも腰かけてのんび
りそれをながめていればいい。気楽なものだ。
そんな風に「自分」を放し飼いにするというイメージを持つ
と、自動的に母屋の居心地を感じられることになる。たとえそ
の感覚が小さなものでも、それは大きな収穫だ。その小さな感
覚がやがて大きなものへと広がってゆく。
崩れた堤防がどんどんと広がって川があふれ出すように、意
識が自由な空間に広がってゆくことに気が付く。
「ああ、こんなに自由だったんだ」
「自分」に構わないでいてやれば、すぐにそう感じる。
そして「自分」も喜ぶんだ。だって、飼い主は〈自由〉とい
う懐の広いものなんだからね。
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