タイトルは「天国と地獄」の打ち間違いではありません。昨
日、駅のホームに立っているときに、ふと思ったのです。「天
国と地獄が別にあるわけじゃないんだ。天国の中に地獄がある
んだな」と。
この世界は天国なのです。その中でエゴが地獄を作る。
いついかなる時も天国なのです。エゴはそこから目をそら
す。エゴは天国が気に入らないようです。
これまでも書いてきましたが、エゴの仕事は「分けること」
と「否定」することです。
世界と分けることで自分(エゴ)を確認し、自分と自分の世
界以外を否定することで、自分が価値あるものだと感じたいの
です。その結果どうなるか? 自分が否定したものに取り囲まれ
て孤立することになりますね。それは地獄じゃないですか?
エゴが否定をしなければ、この世界は天国のままです。
分けずに受け入れてしまえば、この世界は天国です。
とはいうものの、邪悪なものを受け入れていいはずもありま
せんね。破滅してしまいます。
しかし、邪悪なものとはなんでしょうか?
ひとつには身体を損なうもの・・「暴力」でしょうね。
もうひとつは心を損なうもの・・精神的な「暴力」ですね。
「暴力」だけは避けなければなりません。逃げる・スルーす
る・抗う。とにかく受け入れてはなりませんね。 生きて行く上
でしなければならないことは、それだけなのかもしれません。
「暴力」を受け取らないこと。
「暴力」というと、殴るだとか銃で撃つだとかがすぐに思い
浮かびますし、精神的な「暴力」だと、罵るとか無視するとか
ありますけど、どれもエゴの暴走です。
他人のエゴであれ、自分のエゴであれ、制御できなくなった
エゴが暴走して、誰かをあるいは自分自身を傷付ける。
自己嫌悪だとか自己否定とか、自分の人生・運命を呪うなん
ていうのは、自分自身に対するエゴの暴走です。だってそんな
ことをしても、自分を喜ばすことはできないんですからね。わ
たしたちに一番「暴力」を振るうのは、わたしたち自身のエゴ
かもしれない。なにせ、エゴはわたしたちの意識に入り込んだ
他者(世の中)ですからね。(『意識というものは・・・』
2017/1 参照)
「暴力」を振るう誰かからは物理的に逃げることもできる
(それが難しい場合もありますが)。けれど、自分のエゴから
は物理的に逃げられない。意識の中で自分の心を逃がすしかな
いけれど、どうするか?
「勝手に地獄ごっこをやってなさい」
エゴにそう言ってやる(放し飼いですね)。そう言った瞬
間、心は天国に居ることに気付く。 元々天国なんですから。
じゃぁ、身体的な「暴力」から逃げられなかったら?
逃げられなかったのならしようがないから、せめて心は「暴
力」から逃がしてやるのが得策ですね。
「暴力」を防げなかった敗北感・無力感だとか、「暴力」を
振るった相手や社会に対する恨み・怒りといった感情に言って
やる。「君は地獄に居なさいね」と。
この世界は天国ですよ。わたしたちのアタマが作るストー
リーが地獄を作るけれど。
そんな風に思えなければ?
仕方がないので地獄を生きるしかありませんね。それがさだ
めなんでしょう。けれど、やっぱりそこは天国ですけどね。
0 件のコメント:
コメントを投稿