不運をどう扱うか。
幸運をどう扱うか。
生きるということは、結局そういうことだろうと思う。
で、どうしたら良いか?
スルーしちゃうのが最善でしょう。
イワシの群れにカジキとかサメとかが突っ込んで行くと、群
れが「パッ」と分かれてすぐまた塊りになるじゃない? ああい
う感じで、わたしたちの意識も、不運や幸運をスルーするのが
いい。そうすれば、不運が人生に不運として影響しない。幸運
が人生に幸運として影響しない。運・不運に乱されない。
幸運は受け止めればいいじゃないか!
普通はそう考える。けれど幸運を受け止める意識の受け皿
は、不運も受け止めるようにできているので、受け皿を出さな
い方がいい。
大きな病気になった・・。まぁ、不運でしょう。けれどそれ
を不運として扱わない。ただ「病気になった」として扱う。
宝くじが当たった!まぁ、幸運でしょう。けれどそれを幸運
として扱わない。ただ「沢山お金が入った」 として扱う。
出来事に乱されないように、出来事は出来事のままに扱う。
もちろん大きな病気になったら、「まいったな・・」ぐらい
は思う。人間ですから。
宝くじが当たったら「ラッキー!」ぐらいは言う。人間だか
ら。でもそれぐらいにしておく方がいい。運・不運に深く関わ
ると、あらぬ所に迷い出してしまう。観念・妄想の世界に入り
込んで、命からはぐれてしまう。
不運も幸運もスルーして、やって来るものはやり過ごして、
自分の中から外に出て行こうとするものは出て行かせて、変わ
らずにここにいる自分を味わう。それは、運・不運とは関係な
いしあわせだから。
自由自在。
それは何でもできるということじゃなくて、なんでもないと
いうこと。 老子の場合は「上善は水の如し」と言った。
自分を固めないで、自分を緩めて、イワシの群れや水のよう
に生きたら・・・。試してみれば味わえる。
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