2024年10月19日土曜日

離人症について

 
 
 前回の話を書いたあと、以前から書こうと思っていたことを
 
書く頃合いが来たなと思った。それは「離人症」について。
 
 
 「離人症」というのは精神医学の言葉で、自分が自分の心
 
や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるよう
 
な状態を感じること。罹患者は自分が変化し、世界があいまい
 
になり、現実感を喪失し、その重さや実感を失ったと感じる。
 
慢性的な離人症は離人感・現実感消失障害 とされ、これは
 
DSM-5では解離性障害に分類される”   (ウィキペディア)
 
いうようなことで、 当事者は不安や混乱を覚えるのですが、実
 
は私は二十歳前後の頃に、強いストレスにさらされる期間が続
 
いたためにそういう傾向が有ったのです。自分がおかしくなっ
 
てしまったと、かなり不安になっていました。友達に「お前、
 
おかしいぞ・・」と言われたことさえあったのです。
 
 
 友達と話をしている自分を、もう一人の自分が後ろから見て
 
いて、話はしているけど上のそら・・・。自分が分裂してしま
 
いそうな感じでしたね。その状態は、まさに前回書いたことと
 
同じように思えます。このブログを精神科医が読んだら「あん
 
た離人症だよ」と言われるかもしれませんね。
 
 
 けれども、いまの私が「自分」を放し飼いにしている状況と
 
は、決定的に違うところがある。それは不安を感じていないと
 
いうこと。むしろ、以前の自分が日常レベルで感じていたよう
 
な不安さえ感じなくて、心穏やかな日々を過ごしている。それ
 
が悪いことであるわけがない。
 
 
 二十歳の頃の私の精神状態といまの私の精神状態は、ほぼ一
 
緒でしょう。そもそもわたしたちの意識というのは、意識全体
 
の中に「自分」という自意識があるという構造なので、「自
 
分」とそれ以外の意識が分かれて感じられるという状況は、簡
 
単に起こる。むしろ、そうなるのが当たり前なのを、自意識が
 
必死になって分離感を消しているのでしょう。自意識は全能感
 
に飢えているので、「自分」の外に管轄外の意識が存在するこ
 
とを認めたくないから。

 
 「自分」は意識の本体ではないということを、自意識の側に
 
立って見ると不安になる。けれど意識の本体の側に立って「自
 
分」を見ると不安は無い。人の不安は自意識のはたらきだから
 
です。
 
 
 二十歳の頃の私は地獄にいました。いまの私は天国にいま
 
す。意識構造の在り方に違いはありません。ただ視点が違うだ
 
けですが、その違いが天と地の違いを生んでいる。
 
 
 いわゆる「現実」の私はパッとしません 。いまも昔も大した
 
ことありません。生活や能力に大きな違いが生まれたりしてい
 
ませんが、いまは天国です。それは、意識の視点が生きている
 
ことの豊かさを決定付けるということでしょう。
 
 
 意識が分離しながらも常識的に社会生活を営んでいて、なお
 
かつ非常に穏やかに暮らしているのですから、たとえ精神科医
 
が私を精神疾患だと診断したとしても、「もうちょっと勉強し
 
なさいね😃」と思うだけでしょうね。
 
 
 「自分」を放し飼いにできた人には、宇宙から「離人賞」が
 
贈られます。それは、おおらかな穏やかさです。
 
 
 
 
 
  

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