2025年1月3日金曜日

お祭り嫌い

 
 
 子供のころからお祭りというものが好きじゃなくて、町内の
 
子供みこしとかも参加しない子でした。地蔵盆みたいな落ち着
 
いたお祭りはいいのだけど、「ワッショイ、ワッショイ」みた
 
いな乱暴なのにはいまも全然馴染めない。岸和田のだんじりと
 
か、いろんな地方にあるケンカ祭り的なものとかは見たくもな
 
い。
 
 単純に肉体的・暴力的な感じがイヤということではなくて、
 
どうもあの理性を投げうつ感じに違和感があるらしい。
 
 
 ああいうお祭りというのは、その社会(コミュニティ)の方
 
針に普段から従順に従っている人間にガス抜きをさせるために
 
あるんだろうと思っています。「はい、この日だけは暴れさせ
 
てやるから、済んだらまたおとなしくいうことを聞いてなさい
 
ね」ということでしょう。つまり、ああいうのに熱狂する人間
 
は、普段から自分の考え・感性というものを抑え込んでいるの
 
で、その反作用としてお祭りでキレることができる。
 
 私のように自分をごまかせない人間は、日頃から「変だ」と
 
思うことには従わないので(嫌がられたり干されたりしますが
 
😮‍💨)、鬱憤を溜め込まない。溜まっても「溜まってる」と自分
 
で認識しているので、個人的にお祭りをして小さなガス抜きを
 
するので、特定の時にキレる必要がない。
 
 なので、ああいうお祭りで鎖を解かれた犬が駆け回るみたい
 
にしている人間を見ると、自分の考えが無い人間だということ
 
があらわになっていて気味が悪い。恐い。肉体的・暴力的な面
 
が恐いのではなくて、自分の考えが無いというところが恐いの
 
です。
 
 
 『ヤマタイカ』という星野之宣さんの面白いマンガがありま
 
すが、その中で第二次世界大戦を「歪んだかたちの祭り」と表
 
現していて、昔読んだときに「なるほど」と思いました。
 
 自分で考えず、社会に従順に従って自分を抑え込んで生きて
 
いる人間は、それが限界を迎えると爆発する。それがあのよう
 
な戦争になったというわけです。
 
 戦後に学生運動が盛んになって学生が暴れまわったのも、や
 
はりそうでしょう。一見、社会に反発しての運動に見えていま
 
したけど、彼らは自分たちの社会を作ってその不文律にした
 
がったのですから(自分たちの)社会に従順だったのですし、
 
日本社会全体のガス抜き役になっていたのでしょう。その証拠
 
に、彼らは学生運動のブームが去ると、ネクタイをしめて満員
 
電車にすし詰めになりタイムカードを押した・・・。従順なも
 
のです。そして仕事が終わったら飲み屋に集まって大勢で酔っ
 
払って騒ぐ・・・みんなで小さなお祭りをしてどうにかこうに
 
か自分をなだめる。私が酔っ払いを嫌いなのも、彼らが「自分
 
を消す人間」だからです。(ちなみに私は、後でよく憶えてい
 
ないほど飲んだとしても理性的です。たぶん普段から鬱憤を溜
 
めないからでしょう。ひねくれ者の良いところでしょね)
 
 
 戦争や暴動のような「歪んだ祭り」を担うのは、普段のお祭
 
りに喜んで参加する人間たちだと思いますね。「自分がしなけ
 
 ればならないことは社会が指示してくれる」「みんなやってい
 
るから」という人たちですから、国から「戦争へ行って人を殺
 
してこい」と言われれば、「はい分かりました」と。
 
 
 ネット上でしょっちゅう炎上が起きますが、あれもお祭りの
 
一種でしょうね。
 
 ネタはなんでもいい。本当のことなんか知らなくていい。良
 
い悪いも掘り下げる必要はない。とにかく暴れられればそれで
 
いい・・・。社会で割を喰わないように普段自分を消している
 
から、安全そうだとすぐに暴力を振るう。子供のいじめと一緒
 
です。情けない話です。ああいう情けない人間にはなりたくあ
 
りません。「情け」というのは「自分の情」であり、自分に本
 
来備わっている善性と、そこから生まれる判断力でしょうから
 
ね。
 
 自分を消す人間には、情が無い。
 
 当然といえば当然ですね。
 
 
 
 

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