2025年1月1日水曜日

正月向けじゃないブログ

 
 
 命の本質は白紙であって、そこに展開する人生はオマケや飾
 
りのようなものでしかなく、実体は無い。
 
 
 このブログでは、そのようなことを幾度となく書いている。
 
世間の常識からすれば、はなはだ不快なブログでしょう。
 
 「あんたのしていることには、つまるところ意味は無い」
 
 そういう話ですからね。とても正月から読むような内容じゃ
 
ない。
 
 でも私は本気でそう思っているのでしようがない。そう考え
 
ることがしてはいけないことなら、この世界はそう考えること
 
などできないように私を作っただろう。でもそのようにはなっ
 
ていないので、私はこれからも気兼ねなくそう考える。
 
 
 たまたまこのブログを見てしまって不快になる人は、不快に
 
なればいいのである。そして良い機会だから自分がなぜ不快に
 
なるのかを探ってみればいい。自分にとって見過ごせない意味
 
を持つ内容だからこそ不快になるのだから。
 
 
 このブログのような話に限らず、人が不快になる事柄はその
 
人の世界観・価値観にとって重要な意味を持っている。その不
 
快さは、その事柄が自分の世界観・価値観の弱点や欠陥に触れ
 
るからこそ不快なのだから。
 
 このブログがとてもとても不快に感じるようならば、それは
 
その人の世界観・価値観に大きな問題がある証拠でもある。 
 
だって、どこの馬の骨が書いたかも分からないものだし、単な
 
る言葉でしかないのだから、そのようなものをとても不快に感
 
じるということは、その人はかなり不安定な世界観・価値観の
 
上に自分を成り立たせているはずです。なので、このブログの
 
内容を取り入れるとかじゃなくても、とにかく自分の世界観・
 
価値観を見直してみるべきです。
 
 
 で、冒頭の話に戻りますが、 そのような人は一度自分の世界
 
観・価値観を白紙にすべきです・・・いや、違うな・・・、
 
分の世界観・価値観が変更可能であることを確認すべきです。
 
 病的な精神状態でなければ、少しものの見方が変わることは
 
誰にでもあることでしょう? それはわたしたちの世界観・価値
 
観が絶対のものではないことの証拠です。少しどころか、すべ
 
てがホワイトボードに描かれたもののように、消し去られ得る
 
ものです。
 
 
 わたしたちの世界と価値の本質は、描かれたものではなく
 
て、それが描かれている白紙の方にあるのです。
 
 それは消し去られ得るものではない。それは失われることが
 
ない。そこにはわたしたちが不快になる元のものが無い。
 
  汚され、傷付けられ、圧し潰されうる表面的なものがない。
 
 
 今日は2025年元日ですが、「正月」というのは「正す
 
月」であって、リセットするという意味でしょう。
 
 日本の暦(こよみ)というのは一年草である稲作をメインに
 
した農業歴で、前年の収穫を終えてゼロからまた始めるわけで
 
すから、リセットという意味で新しい一年の始まりの月を「正
 
月」とした。
 
 正月は白紙の自分を意識するにはふさわしいのかもしれな
 
い。そして、その白紙の意識を忘れずに暮らすのなら、心の中
 
は一年中正月のようなものでしょう。めでたい話です。
 
 
 
 
 

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