命の本質は白紙であって、そこに展開する人生はオ
マケや飾りのようなものでしかなく、実体は無い。
このブログでは、そのようなことを幾度となく書い
ている。世間の常識からすれば、はなはだ不快なブロ
グでしょう。
「あんたのしていることには、つまるところ意味は
無い」
そういう話ですからね。とても正月から読むような
内容じゃない。
でも私は本気でそう思っているのでしようがない。
そう考えることがしてはいけないことなら、この世界
はそう考えることなどできないように私を作っただろ
う。でもそのようにはなっていないので、私はこれか
らも気兼ねなくそう考える。
たまたまこのブログを見てしまって不快になる人
は、不快になればいいのである。そして良い機会だか
ら自分がなぜ不快になるのかを探ってみればいい。自
分にとって見過ごせない意味を持つ内容だからこそ不
快になるのだから。
このブログのような話に限らず、人が不快になる事
柄はその人の世界観・価値観にとって重要な意味を
持っている。その不快さは、その事柄が自分の世界
観・価値観の弱点や欠陥に触れるからこそ不快なのだ
から。
このブログがとてもとても不快に感じるようなら
ば、それはその人の世界観・価値観に大きな問題があ
る証拠でもある。
だって、どこの馬の骨が書いたかも分からないもの
だし、単なる言葉でしかないのだから、そのようなも
のをとても不快に感じるということは、その人はかな
り不安定な世界観・価値観の上に自分を成り立たせて
いるはずです。なので、このブログの内容を取り入れ
るとかじゃなくても、とにかく自分の世界観・価値観
を見直してみるべきです。
で、冒頭の話に戻りますが、 そのような人は一度自
分の世界観・価値観を白紙にすべきです・・・いや、
違うな・・・、自分の世界観・価値観が変更可能であ
ることを確認すべきです。
病的な精神状態でなければ、少しものの見方が変わ
ることは誰にでもあることでしょう? それはわたした
ちの世界観・価値観が絶対のものではないことの証拠
です。少しどころか、すべてがホワイトボードに描か
れたもののように、消し去られ得るものです。
わたしたちの世界と価値の本質は、描かれたもので
はなくて、それが描かれている白紙の方にあるので
す。
それは消し去られ得るものではない。それは失われ
ることがない。そこにはわたしたちが不快になる元の
ものが無い。
汚され、傷付けられ、圧し潰されうる表面的なもの
がない。
今日は2025年元日ですが、「正月」というのは
「正す月」であって、リセットするという意味でしょ
う。
日本の暦(こよみ)というのは一年草である稲作を
メインにした農業歴で、前年の収穫を終えてゼロから
また始めるわけですから、リセットという意味で新し
い一年の始まりの月を「正月」とした。
正月は白紙の自分を意識するにはふさわしいのかも
しれない。そして、その白紙の意識を忘れずに暮らす
のなら、心の中は一年中正月のようなものでしょう。
めでたい話です。
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