先月、日本を代表する詩人の一人である谷川俊太郎さんが亡
くなった。昔、詩集を一冊買ったようにも思うけれど、記憶違
いかもしれない。なにせ阪神淡路大震災の時に持っていた本の
大半は無くしてしまったし、もう30年も経っていろいろなこ
とを忘れてしまっている。
私にとって谷川さんの詩は、小室等さんの曲の歌詞としての
印象が強い。それらは谷川さんが既に創っていた詩に小室さん
が曲を付けたものもそうでないものもあるだろうけど、どの曲
もレベルが高い。好きな曲は沢山あるけど、その中の『クリフ
トンN.J.』という曲に、こういう歌詞がある。
ぼくらはみんな過ちを犯し そのくせ正義を口にする
ぼくらはみんな憎しみを恐れ そのくせ愛するのがヘタだ
ばくらは大抵口先だけだ。むしろ、実が無いからこそ、飾っ
てものを言う。
ぼくらはみんな憎しみを恐れ そのくせ愛するのがヘタだ
愛せもしないのに愛されることを求め、愛してくれないと憎
む。ホント、性格が悪い。アタマが悪い。
この『クリフトン N.J. 』という曲は、アメリカに住む友人
を訪ねたら心の病気で入院していた・・・、という話を歌って
いるのだけれど、心の病気のほとんどは、得られるべきであろ
う愛が得られないことが理由だ 思いやりと言う方が良いの
かもしれないが。
ぼくらはみんな、人から思いやりを持って接してもらいた
い。優しくされたい。愛されたい。けれども、まず相手がそう
してくれたら自分もそうしようという立場をとることが多い。
虫のいい話だ。なぜそうなのか?
たぶん生まれてしばらくは無力だからだろうね。与えられ、
受け取ることで生き伸びるから、「自分の望むものは与えられ
るものだ」という認識になるのだろうなぁ。で、その認識を大
きくなっても、年寄りになってまでも持ち続ける者が多くな
る。要するに子供のままなんだね。
いい歳をして「愛して下さい」と欲してばかりいては、みっ
ともないと思うけどね。そういえば、むかし菅野美穂が『ZOO
~愛ください~』という曲で「愛をください 愛をください」と
歌ってヒットしてたね。私は聴くたびに不快だったけど、ああ
いう曲がヒットするぐらい、多くの人は与えられる側の意識の
まま大人になる。
事程左様に、ばくらはみんな愛するのがヘタだ。それは幼い
ころの扱われ方のせいではあるけれど、それだけでもない。僕
らの、いわゆる「愛」というものが、必ず見返りを求めるもの
であるせいでもある。
愛したら愛し返して欲しい。もしくはなんらかの喜びをこち
らに返して欲しい。そういう思いを伴っているのが、いわゆる
「愛」なので、その見返りが無いとすぐさま憎しみが湧いてき
てしまう。困ったものです。
結局のところ、ぼくらはみんな「愛」という言葉のイメージ
に相応しくないものを「愛」と呼んでいるので、谷川さんに
「愛するのがヘタだ」と看破されてしまうことになる。残念な
ぼくたち・・・。
でも愛するのがヘタでも、それはそれでいいじゃないかと思
う。「愛」を意識する人には、少なくとも、そこには「愛」を
価値あるものだとする意識があるし、「できることなら理想的
な愛を持ちたい。それを活かしたい」という思いがあるだろ
う。
ヘタでもいい。「愛」について思い違いをしていてもいい。
そこにある「良い人でありたい」という思いは、悪いものでは
ないだろうし、そのような思いを持てることは、とても幸運な
ことだろうから。
は、以前書いているのでそちらをどーぞ
(『「愛」とは何か?』2018/3 『愛である』2019/3)
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