2024年12月13日金曜日

何気ない毎日

 
 
 何気ない毎日が 風のように過ぎてゆく
 
 
 これは、ほぼ五十年前に 中村雅俊が歌ってヒットした『いつ
 
か街で会ったなら』(喜多条忠 作詞・吉田拓郎 作曲)の冒頭
 
の詞。本当に毎日が風のように過ぎて行き、今年ももう終わり
 
が近付いている。「今年って有ったのか?」ぐらいの感じがす
 
る。
 
 特別なことなど何もない・・・。年々そういう感覚が増して
 
くるけど、それでつまらないかというと、そうでもない。
 
 現代人は “イベント中毒” というところが多分にあるので、
 
逆に「特別なことなど何もない」という方が却って特別かもし
 
れない。ものは取りようです。
 
 
 「そんな毎日でつまらないはずがない」と普通は思われるだ
 
ろうけど、そもそも “つまらない” とはどういうことか?
 
 
 以前、テレビで荒俣宏さんが「日本人はいろんなものを詰め
 
込むのが好きで、それが上手い。詰め込まない・詰め込めない
 
のを “つまらない” と言う」と言っていて、なるほどと思っ
 
た。効率的な収納だとか、ムダに多機能な家電とか、とにかく
 
詰められることを日本人は喜ぶ。「詰まってる!❤️」。
 
 方や私の日常は全然詰まっていない。なのに「つまらないわ
 
けでもない」のはどういうことか? 
 
 
 何も詰まっていないのだから、空(から)なわけです。
 
 空っぽです。空っぽだから、空っとしてる、ひろびろして
 
る。圧迫・制約がないのでのびのびする。目的や欲求が詰まっ
 
ていない分、自由。「なにげない毎日」には、自由が詰まって
 
いる・・・。
 
 ものは言いようですよね。こじつけと言われれば、まぁそう
 
なんでしょうけど、結構ほんとうに空っとしてるんですよ。
 
 
 《 自由とは「したいことがない」ということだ 》と、何度
 
か書いたように思いますが、「することがない」のも同じこと
 
ですね。
 
 人間は何かを気に掛けることで、心の奥の空虚さから意識を
 
逸らそうとします。エゴは思考によって存在を成立させてます
 
から空虚が恐ろしい。空虚に思考を詰めたいんですね。でも、
 
それは自由を隠してしまうことです。
 
 
 何気ない毎日。それは何を気に掛けることもない毎日です。
 
  確かにつまらない。でも、詰まっていない。 風通しがよい
 
のですよ。その風を感じてみるのはなかなかに気分のいいもの
 
です。
 
 
  何気ない毎日が風のように過ぎてゆく 
 
 
 
 
 

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