何気ない毎日が 風のように過ぎてゆく
これは、ほぼ五十年前に 中村雅俊が歌ってヒットした『いつ
か街で会ったなら』(喜多条忠 作詞・吉田拓郎 作曲)の冒頭
の詞。本当に毎日が風のように過ぎて行き、今年ももう終わり
が近付いている。「今年って有ったのか?」ぐらいの感じがす
る。
特別なことなど何もない・・・。年々そういう感覚が増して
くるけど、それでつまらないかというと、そうでもない。
現代人は “イベント中毒” というところが多分にあるので、
逆に「特別なことなど何もない」という方が却って特別かもし
れない。ものは取りようです。
「そんな毎日でつまらないはずがない」と普通は思われるだ
ろうけど、そもそも “つまらない” とはどういうことか?
以前、テレビで荒俣宏さんが「日本人はいろんなものを詰め
込むのが好きで、それが上手い。詰め込まない・詰め込めない
のを “つまらない” と言う」と言っていて、なるほどと思っ
た。効率的な収納だとか、ムダに多機能な家電とか、とにかく
詰められることを日本人は喜ぶ。「詰まってる!❤️」。
方や私の日常は全然詰まっていない。なのに「つまらないわ
けでもない」のはどういうことか?
何も詰まっていないのだから、空(から)なわけです。
空っぽです。空っぽだから、空っとしてる、ひろびろして
る。圧迫・制約がないのでのびのびする。目的や欲求が詰まっ
ていない分、自由。「なにげない毎日」には、自由が詰まって
いる・・・。
ものは言いようですよね。こじつけと言われれば、まぁそう
なんでしょうけど、結構ほんとうに空っとしてるんですよ。
《 自由とは「したいことがない」ということだ 》と、何度
か書いたように思いますが、「することがない」のも同じこと
ですね。
人間は何かを気に掛けることで、心の奥の空虚さから意識を
逸らそうとします。エゴは思考によって存在を成立させてます
から空虚が恐ろしい。空虚に思考を詰めたいんですね。でも、
それは自由を隠してしまうことです。
何気ない毎日。それは何を気に掛けることもない毎日です。
確かにつまらない。でも、詰まっていない。 風通しがよい
のですよ。その風を感じてみるのはなかなかに気分のいいもの
です。
何気ない毎日が風のように過ぎてゆく
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