2024年12月14日土曜日

上手く出来過ぎている

 
 
 このごろ思う。「自分は世界で最もしあわせな人間の一人で
 
はないだろうか」と。自分にとって様々なことが上手く出来過
 
ぎているように思う。
 
 上手く出来過ぎていると言っても、すべてが自分の思うよう
 
に運んでいるというのではない。例えば、いまこの文章を打ち
 
ながら、もうすでに何度も打ち間違いや変換ミスをしてやり直
 
している。全然上手く進んではいない。けれど、その現状を否
 
定的に感じない。「そういうことが起きた」と思うだけだし、
 
そのミスも、その後の文章が綴られる前提条件になっているの
 
だろうと受け取っている。現に、ついいましがた打ち間違いを
 
したので、この文章を書いているのだから。
 
 
 なぜ様々なことが上手く出来過ぎているように思うのか?
 
 それは、このごろの私がとても満足しながら日々を送ってい
 
るから。
 
 いま満足しているのは私に起こった過去のすべてのことの結
 
果です。その内の何か一つが変わっていたら、いまの満足は無
 
い可能性がある。それならば過去のすべては、いまの満足に不
 
可欠だったということになるので、過去のすべてが肯定され
 
る。つまり、すべてのことが上手く出来ているということで
 
す。
 
 
 考えてみれば、人が満足することの裏には当然それに至る経
 
緯がある。アスリートが大会で優勝して満足できたら、それま
 
での辛いトレーニングが肯定できるだろう。けれど、満足のゆ
 
く成績ではなかったら、それまでの日々は虚しいものになって
 
しまう。満足することは過去を肯定できるものにする。いま満
 
足すれば、それに至る事柄も満足できるものになる。
 
 ではいまの自分の在り方を心の底から満足したら?
 
 いままでの人生のすべてが肯定され、すべてが満足になる。
 
 いま満足すれば、過去までが満足できてしまう。
 
 
 アスリートのように、人は満足するために何かをするけれ
 
ど、実は何かをする必要はない。とにかくいま満足すればい
 
い。ダイレクトに満足してしまえば、何をしてきたのであろう
 
と、そのすべても満足に取り込まれてしまう。そしてこう思
 
う。
 
 「すべてが上手く出来ていたんだなぁ」
 
 
 
 《 足りないものは「満足」だけ 》 *
 
  この言葉は、このブログを書くうちに出て来た珠玉のものの
 
一つだと思っていますけど、いま生きている人は、いま生きて
 
いる。絶望的な状況にあるとしても、有頂天であるとしても、
 
どのような状況にある人でも、その人はいま生きている いま
 
生きているという、そのことに思いが至れば満足できるはずな
 
のです。他のことはお話しであり、一瞬ごとに過去になってい
 
るものに過ぎないのですから。
 
 
 「いま生きているなぁ」
 
 そうして深く満足すれば、すべてが上手く出来ていたことに
 
気付く。過去のすべてが満足に包み込まれる。 
 
 そして、いままでのすべてが上手く出来ていて、いま満足な
 
らば、次のいまも当然満足なはずです。さっきの瞬間に満足で
 
あって、その前のすべても満足なら、いまこの瞬間の前提すべ
 
てが上手く出来ているのですからね。
 
 一度ほんとうに満足してしまえば・・・、もう満足から逃れ
 
られないようです。 

 
 *「足りない物は『満足』 だけ。」2017/10
 
  「何かを探して、何かを求めて・・・」2018/9 
 
 
 
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿