どこでも、いつの時代でも、人は悩み苦しみを抱えて、それ
をなんとか解決しようとあがいている。
個々の悩み苦しみはそれぞれで、表面上同じように見えたと
しても、その悩み苦しみの成立の過程も、ひとりひとりの性質
や状況なども違うので、個々に解決策を探るしかない。そうし
て幸運にも解決策に巡り合えた人は落ち着きを取り戻すことが
できる・・・が、果たしてその解決は決定的なものだろうか?
言葉を変えて言うのなら、その解決はその人の中にどれほど深
く作用するものだろうか?おそらくそういった解決は、遠から
ず別の悩み苦しみにかき消されてしまうことだろう。なぜそう
言えるかというと、そういった解決は対症療法で、人の意識が
持つ “悩み苦しみを生み出すシステム” には手つかずのままだ
ろうから。そこをどうにかしないことには、人は結局、ある苦
悩から別の苦悩へと渡り歩くしかない。わたしたちは “悩み苦
しみを生み出すシステム” をこそ解決しなければならない。
いったいどうするか?
「解決」という言葉にヒントがある。「解く」のです。
例えば、この “解” という文字を一画々々バラバラにするよ
うに。
文字を一画々々バラバラにしてしまうと、当然意味を持たな
い線や点になるけれど、それと同じように自分の考え・価値観
を解いてゆく。 それができれば、どのような悩み苦しみも解か
れてしまう。けれど、そんなことができるのか? できます。
“悩み苦しみを生み出すシステム”とは何かというと、〈自分
や自分の人生は価値あるものだと思いたい〉というアタマの働
きです。その働き 不安からのものですが が思考を使っ
て無理やり価値を作り上げ、「自分は価値がある」と安心しよ
うとするのですが、ものごとは変わって行く。自分も変わって
行く。
ひとときその価値で自分をなぐさめることができても、状況
は変わり、その価値は価値を失う。それどころか、その価値が
非難の対象になったりもする。そしてまた悩み苦しむことにな
る。なので “システム” 自体の働きを止めなければ終わらな
い。そのためには、考え・価値観を解かなくてはならない。そ
れらは、自分のアタマが不安から逃れようとしてまとめ上げ
た、お粗末な約束事に過ぎないと肚を括る。その約束事がどれ
ほど社会で称賛されるようなものでも、その価値は「アタマの
約束事に過ぎない」と徹底的に自分に言いきかせる。すると、
いままで自分が信じて来た(信じ込まされてきた)ものがバラ
バラに解けて行く・・・。 “悩み苦しみを生み出すシステム”
がほとんど機能を失う。
そして、あらゆる悩み苦しみ(いわゆる “喜び” や “幸福” も
道連れですが😅)が雲散霧消し、新たな悩み苦しみも形作ら
れるなくなる。で、どうなるか?
わたしたちの本来の落ち着き・ゆとりが姿を現してくる。
けれど、そんな状態でも人は生き続けるし、さまざまな出来
事が起きてくる。それはどうなのか?
対処しなければならないことは次々に出てくるけれど、それ
まで問題になっていたことが問題にならなくなる。
「約束事だからそれに付き合うけれど、自分の本質・しあわ
せとは関係ないし・・・」という姿勢でいられるようになる。
本当ですよ。価値を解いてしまえば、そこにはわたしたちの
本来の落ち着き・ゆとりが姿を現すのです。
慣れていないので、「これがそうなの?」という感じがする
でしょうけど、雲散霧消してゆく価値の向こうにある “心の広
がり” に意識を落ち着けてゆけば分かりますよ。
「信じろ」とは言いません。信仰ではないですからね。信じ
たりする必要はない。体感して感じてみれば分かることですか
ら。それが正解かどうかは各自が決めることです。私にとって
は正解なのです。そしてほぼ確実に、あなたにとっても正解と
なることでしょう。
いまこの話を真に受ける必要も無いですが、もしも、自分の
悩み苦しみから抜け出すのがとても難しいと思うときに、思い
出したら試してみて下さい。落ち着き・ゆとりは、待ちくたび
れることなくあなたを待っていますから。
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