2025年6月15日日曜日

呼吸の仕方〜モードチェンジ

 
 
 人が一番しあわせなのはいつか?
 
 母親のおなかの中にいる時でしょうね。で、生まれてきて
 
しまうと、寒いとか痛いとか腹が減ったとか、身体的・物理
 
的理由でしあわせは損なわれてしまう。さらに社会(他者)
 
と関わることで、時間的にも情緒的にも身体的にもしあわせ
 
は損なわれる。疲れた・淋しい・悲しい・羨ましい・悔し
 
い・疑わしい・・・などなど。
 
 そう考えると、しあわせというのは得てゆくものではなく
 
て、元々備わっているのに削られてしまうものだといえま
 
す。そして、削られてしまったものを取り戻そうとすること
 
になるのですが、残念ながらそれは世の中にはありません
 
し、そもそも、わたしたちは何を削られたのかを分かってい
 
ないので、ただ欠損感に動かされて、見当外れのまま何か
 
得ようとしてしまう。では見当が外れていなければ良いので
 
しょうか?
 
 
 わたしたちの感覚は、生まれてきて「失われた」と感じ
 
る。そこを起点に人のあらゆる希望・渇望が生まれてくるわ
 
けですが、実は「失われた」というその感覚がそもそも間
 
違っているので、人は望んだものを手に入れても満たされる
 
ことはなく、次の望みを叶えようとする。なにを得ても見当
 
外れなのです。
 
 「なにを得ても見当外れ」というのはおかしな話のようで
 
すが、なぜそうなるかというと、本当はなにも失っていない
 
からなんですね。失ったのではなくて、モードが変わったの
 
です。

 
 カエルは、オタマジャクシのときにはエラ呼吸をしてい
 
て、カエルになると肺呼吸に変わりますが、もしもカエルが
 
「オタマジャクシのときの方が良かった」と水の中で生きて
 
ゆこうとすれば苦しみますし、それを続ければ死んでしまい
 
ます。この勘違いしたカエルのようなことが、人間に起きて
 
いるようです。
 
 つまり、生まれる前と生まれた後では自分を生かしている
 
世界が別物だということです。生まれる前に感じていた満足
 
(全能感)を求めても、生かされている世界が別物なので絶
 
対得ることはできない。生まれてからの世界では、まったく
 
違う形で満足(全能感)が用意されている。
 
 
 生まれる前の満足(全能感)は、ほとんど何の刺激も変化
 
もないという満足です。それを記憶した状態で人は生まれて
 
くるので、生まれてからも変化を恐れ、変化を無くそうとし
 
たいのです。
 
 しかし、この千変万化する世界に出て来てしまうとそれは
 
不可能なので、人は失ったものを代替物で埋めようとしま
 
す。それが人が活動を止められない理由です。だから、人は
 
安定を求めながら変化を求めるという矛盾した行動をしてし
 
まいます。
 
 わたしたちに必要なのは、「生まれる前とは違う形で満た
 
されている」と知ることなんですね。
 
 
 お母さんのおなかの中は、暖かく、何不自由なく、考える
 
必要もないという形の満たされた世界です。対して、生まれ
 
てからの世界は、暑さ寒さに苦しみ、あれもこれも思い通り
 
にならなくて、四六時中考えていなければいけない世界で
 
す。だからわたしたちは「満たされていない」と感じる。け
 
れども、そこが間違っているのです。生まれてきたこの世界
 
は、「暑さ寒さに苦しみ、あれもこれも思い通りにならなく
 
て、四六時中考えていなければいけない」という形で満たさ
 
れている世界です。
 
 
 どういうことかと言うと、生まれる前は〈具体的安定が精
 
神的満足を生む世界〉ですが、生まれた後の世界は〈精神的
 
満足が具体的安定を不必要にする世界〉です。
 
 千変万化し具体的な安定が得られないのですから、具体的
 
なことは放っておいて、精神的な満足を得ることを求める方
 
が良いに決まっていますね。
 
 
 オタマジャクシがカエルになって呼吸の仕方を変えるよう
 
に、人も意識の在り方を変えなければなりませんが、それが
 
できないので息ができなくて苦しむわけです。
 
 胎児の時とはモードが違う。生きているうちにモードチェ
 
ンジをしなければ、苦しみの内に人生が終わってしまいま
 
す。
 
 
 お母さんのおなかの中では、「変わらない」という空気を
 
呼吸しています。
 
 生まれてくると、千変万化する世界で、千変万化の内にあ
 
りながら千変万化を生きているのですから、生まれてきた世
 
界では「変わる」という空気を呼吸しなければならない。
 
「変わる」ということを素直に受け取ることで、自分も「変
 
わる」の一部になる。「変わる」に包まれる。
 
 慣性の法則のようなものですね。動きのままに動かされれ
 
ば、止まっているのと同じなわけです。

 
 とはいえ、人の世の中が愚かな動きをする時に、それと同
 
じに動いていると、とんでもない目に遭ったりします。悪と
 
言うしかないようなことをしでかしたりします。わたしたち
 
が身をまかせるのは、人のストーリーではなく、命の流れで
 
なくてはいけません。どうすればそんなことができるのか?
 
 人のストーリーを横目で見ているようにすることです。人
 
のストーリー以外の、この世界のすべての動きは命の流れで
 
すから、人のストーリーを横目で見れば、自動的に命の流れ
 
に乗っています。人のストーリー・世の中の動きは、命の流
 
れの添え物であることがわかります。
 
 
 わたしたちは人ですから、人のストーリーを無視すること
 
はできませんが、ただ眺めるようにそれに関わっていること
 
はできます。
 
 そうして命の流れ・動きに身をまかせることが、生まれて
 
きてから身につけるべき呼吸の仕方だと思いますね。
 
 
 
 
 


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