人が生きて行く上で最も大切なことは?
遊び心でしょうね。
あらゆることを深刻に取らない。
クソ真面目にしない。
面白がることを目的に、物事を捉える。
「人生はゲーム」と言う人がいますが、遊び心と言っても
ゲーム感覚ということではない。ゲームにしてしまった瞬間
に、人はその中に入り込んでしまい、生きていることから外
れがちになる。遊んでいるつもりで、実はゲームに弄ばれて
いたりする。自分じゃなくて、ゲームの方に主導権を握られ
てしまう。
遊び心というのは、ゲーム(目標達成に付随するその他
諸々のこと)ではなくて、「ハンドルのあそび」という言葉
が示すような、「物事にガチガチに関わらずに、少し引いた
ポジションで物事に関わる」というようなことです。そし
て、そこから物事を眺めて、面白がるという姿勢で生きると
いう態度。私はそれを「遊び心」と呼びます。
わたしたちは物事を大げさに、深刻に、もったいぶるよう
に刷り込まれて育ちます。例外はありません。
物事がすべて取るに足らないものだとなれば、社会は成り
立ちませんから、社会で生きざるを得ない以上、様々なこと
に意味付け・価値付けしないわけにはいきません。特に根本
的な意味付け・価値付けは「生死」についてです。「死のう
が生きようがどうでもいい」となれば、人は食べ物も着る物
も手に入れようとしないし、ケガや病気を治すこともしなく
なりますから。なので “大げさ・深刻・もったいぶる" と
いう刷り込みはしようがないのですね。
ですが、それがアダになって、人は苦悩の中を生きなくて
はならなくなります。大げさで深刻でもったいぶった物事が
損なわれると、それは大きな痛手になってしまいますから
ね。ですから、苦悩から逃れたければ、“大げさ・深刻・
もったいぶる" ということをやめればいいことになります。
そこで「遊び心」が必要です。
物事にガチで関わらないことで、“大げさ・深刻・もった
いぶる” から離れられる。気軽に、気楽になれる。
“大げさ・深刻・もったいぶる” をやめても、当然なが
ら自分は生きている。生きているなら “大げさ・深刻・
もったいぶる” は生きる上での必須事項ではないことが分
かる。
人にとって最も深刻なことは「死」でしょうが、その深刻
さも刷り込みです。社会で生きる上では必要ですが、でも刷
り込まれたものです。すべての人が等しく経験することが深
刻だなんておかしな話で、「死」は深刻にならずに捉えるべ
きことです。すくなくとも社会に関わっていない個人の意識
の中では、気軽に受け止めるべきです。
こういう考えが一般の人の目に入ると、雨あられと非難の
言葉が降り注ぐことでしょう。
「死を気軽に受け止めろだと!」
声を震わせてそう言う人の姿が目に浮かびます。
けれど先に書いたように、「死」はすべての人が等しく経験
することです。それも唯一のことです。もっとも当たり前の
ことです。気軽に受け止めて当然じゃないでしょうか。
その深刻さの総本山のような「死」が気軽なら、他の出来
事の気軽さなんて言うまでもありませんね。どのような物事
でも、遊び心で捉えることはできます。
とはいえ “大げさ・深刻・もったいぶる” の刷り込みは
とても強い。私も死ぬのは少し怖いし、内の奥さんに死なれ
たら泣くことは間違いない。けれど、そうして深刻になって
しまう自分を気楽に見ていたい。自分の深刻さを笑ってしま
いたい。そういう自分のジタバタを面白がってしまいたい。
世の中のジタバタを気軽にながめていたい・・・。
そういう在り方は世の中から非難を受け、面倒なことに巻
き込まれます。なので、独りで静かに笑っていようと思う。
あざ笑うとかではなくて、思いやりの心を持ちながら面白が
る・・・。
「自分もみんなも、涙ぐましい存在なんだな」と面白がり
ながら。
イスラエルとイランの戦争をどう見るか?
面白がるのにも品は要るでしょうけどね。
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