2025年6月30日月曜日

必須事項はない

 
 
 前回は「物事を深刻にとらない」というようなことを書い
 
たわけですが、「物事を深刻にとったっていいじゃないか」
 
という考えも当然あるわけです。私はそれは別に構わないと
 
思っています。あそこで書いたように、その刷り込みは生き
 
る上で必要だし、その刷り込みのおかげで、物事の価値を感
 
じて喜びにつながることも沢山ありますからね。そっちがお
 
望みならそれでいいのです。ただ、こう思います。
 
 「物事は必ず “負の価値” がセットなんだから、それも
 
文句を言わずに引き受けなければならないよ」と。
 
 いじわる言ってますね。そんな “清濁併せ呑む”みたい
 
なことだと、喜びを求める意味がないですからね。
 
 なので「生きることは素晴らしい」と言えば「死ぬことは
 
悲しい」となってしまいます。
 
 「生きることも死ぬことも素晴らしい」
 
 そんなことを言う人もいるかもしれませんが、多分自己欺
 
瞞ですね。嘘です。
 
 
 「生きることも死ぬことも・・・・(微笑)」
 
 そういう感じなら、私は信用しますけどね。

 
 「・・・・」の中に万感の想いが入っていると思います。
 
 「・・・・」の中にしみじみとした安らぎがあると思いま
 
す。
 
 
 「・・・・」は、思考では捉えられない実感です。
 
 「・・・・」は、人のストーリーからの開放です。 
 
 「・・・・」は、意味付けしない命です。
 
 
 《 人生はグリコのおまけのようなもの 》そう書いたのは
 
随分前ですが、おまけを宝物か、はたまた爆弾のように扱う
 
のはアタマがおかしい。おまけはおまけであって、必要欠く
 
べからざるものではない。人生に必須事項はない。独房に閉
 
じ込められたって、さしあたりは生きているんだから、人が
 
生きることは原則として空身(からみ=何も持たない)で 
 
OK なわけです。

 
 「・・・・」は生きることの原則である空身から湧き上が
 
る感覚です。原則だから誰でも分かっているはずのものです
 
が、世の中から刷り込まれ、手にしたものに惑わされて分か
 
らなくなってしまう。
 
 
 生まれた時から刷り込まれ続け、手にしてきたものをいま
 
さら捨てることも消すこともできはしません。「手放せ」と
 
か「空になれ」なんてムリなことです。そんなことをしたら
 
世の中で生きられません。けれど、身につけている服の下に
 
は裸の自分が常に在る。手にし、背負っているものをムキに
 
なって保ち続けようとすることをやめることはできる。
 
 世の中に必須のものは無い。代用が効くものばかりなの
 
に、わたしたちはつい深刻に考えて限定したものに囚われて
 
しまう。それが間違いだと気付ければ、空身の自分の感覚が
 
よみがえってくる。生きることの軽さに気がつく。







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