一昨日書いたブログは、自分で書きながら「強引だなぁ」
と思っていた。生まれる前と生まれた後のことを、エラ呼吸
と肺呼吸に例えるという思い付きが面白くて、無理やりそう
いう話にしてしまったという感がある。
でも、それはそれでいいと思ってる。そういう無理をして
いる内に思いがけない視点が生まれたりするから。
このブログは科学論文ではないので、それぞれの回で書い
たことが矛盾してたり辻褄が合わなかったとしても構わな
い。一つの話の中でさえ辻褄が合わなかったり、話がすり替
わったりすることもあるけれど、それもOK。そういうことよ
り、書いている私自身の気付きや、読む人がものの見方や受
け止め方を変えるきっかけになる言葉があることのほうが大
事。
なので、このブログは、鍵になる一つの言葉を説明する文
章が、いくつか組み合わせられて一つの話になっているよう
です。
そういう感じで本人は書いているのですけど、私が思う鍵
になる一つの言葉ではなく、説明のつもりで書いている文章
の中の言葉で、読む人が何かを気付くかもしれない。そこは
ご縁なのでそれはそれでいいわけです。
というわけで、読んだ人が「話が違うぞ」とか「筋が通ら
ないぞ」と思ったとしても私は気にしません。そんなこと、
所詮はアタマの考えるお話の世界のことですから。
このブログに限ったことではなく、わたしたちが暮らす世
の中自体が、実際は行きあたりばったりで辻褄の合わないこ
とで溢れています。合理性とか一貫性が重要な事は、機械を
作るとか、電車を走らせるというような部分でしかありませ
ん。法律に則った裁判でさえ、判事によって判決が違うので
すからね。
そんな世の中に暮らしながら、合理性や一貫性に囚われす
ぎると、却っておかしくなるでしょう。
大切なのは、合理性や一貫性や世の中の約束事よりも、で
きるだけ多くの人に気楽さをもたらすことでしょうね。
と、そんなでまかせを書いていたら、面白いイメージが湧
いてきました。このブログが“気楽さの地雷原”のようなも
のであればいいなと・・。
踏むと、気楽さが爆発するような言葉がいくつも散らばっ
ているような、そういうものでありたい。でも、非常識なこ
とばかり書いているので、読んだ人が傷付くこともあるで
しょう。
でも大丈夫です。いずれその傷口からは、世の中から取り
込んでしまって心の中で膿となっていた思いが出てゆくこと
でしょうから、しばらくながめていて下さい。もしそうなら
なかったら・・。「生きていると事故に遭うこともある」と
いう教訓として御活用下さい。
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