今朝「あっ、そうか」と気がついたことがあって、これを
書き始めた。
「前向きに」という言葉を誰もがよく口にする。辛いこと
に遭ってそれに囚われてしまっている人に、あるいはそのよ
うな自分自身に対してそう言う。「後ろばかり振り返ってい
てはいけない」と。
けれど、考えてみればわたしたちの目は前に付いている。
いや、目が付いている方が前であり、自分が見ている方が常
に前なのだ。わたしたちは前しか見ていない。いついかなる
ときも。
小さな不快感であれ、トラウマになってしまったようなお
ぞましい体験であれ、そこから目をそらすことができずに、
それを引きずり、それに引きずられてしまう。
「こんなことは記憶から消えて無くなって欲しい・・」
そんな願いも叶わず、過去に囚われて苦しんでしまう。
そんな人に、そんな自分に対して「過去ばかり見てないで
前を向いたほうがいい」と言う・・・いや、その過去こそ
が、見るべき「前」なのだ。見るべきだからこそ、見なくて
は済まされないからこそ、意識はその過去を見せている。後
ろを見ているようだけれども、見ているものが「前」だ。
その出来事の辛さから、見ることを拒んでしまう意識に対
して、拒まれた部分の意識が言う。「いや、これは見なく
ちゃいけないんだ。見ないでは済まされないんだ」と。だか
らこそ、拒んでも拒んでもそれは目の前に現れて来る。
見なくては済まされない。
見て、ケリを付けなければならない。
辛いことそのものを真正面から見なければというのではな
い。そのことの陰に隠れてしまったもの、その周りに有った
のに見落としてしまったもの・・・。それを見てほしくて、
拒まれた意識は何度も何度もそれを見せるのだろう。そこ
に、その人が穏やかに、気楽に生きるためのヒントが有るは
ずだ。
グズグズと、ウジウジと過去ばかりに囚われている人は後
ろを見ているのではない。その人も前を見ている。それが、
その人が見るべきものなのだ。
人はみな、前を見ている。
ただ、その見えてくるものの中に、本当に見なければなら
ないものを見つけることが出来なければ、生きていることは
徒労でしかなくなってしまう。
たとえ未来に目を向けていても、見なければならないこと
を見ないのなら徒労だろう。では、何を見たらいいのか?
拒まれた過去の傍に、そのヒントがあるだろう。
気を取り直して過去という前を見ていると、いつかおのず
と見なくなる時が来て、目の前から過去が消え去る。
その時、目の前には開けた景色が広がっているはずだ。
見られることを待ち望んでいた景色があるはずだ。
わたしたちはいつも前を見ている。
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