毎日いろんなニュースが流される。私はベネズエラ
の地震の事が気になるのだけど、続報はほとんど無
い。トンガの噴火のときもそうだったけど、メディア
はああいうのはお気に召さないらしい。
少し前にニュースで、京都で父親が小学生の男の子
を殺した事件や動物園の焼却炉で職員が妻の遺体を焼
いた事とか、ストーカー殺人とかを盛んに流してたけ
ど、ああいうのは本当はプライベートな出来事だ。犯
罪にまでなってはいるけれど、個人的な人間関係のも
つれだから、あの手のニュースを流しても見る人にな
んにもメリットは無い。あれらの犯人は不特定多数の
人を対象にしているわけじゃないからね。あんなのを
ニュースにするのは、ただのゴシップ、スキャンダリ
ズムでしかないけど、アタマはああいうのが大好き
だ。
メディアは被害者の実名を出すけど、このご時世、
被害者がわけのわからないバッシングにさらされたり
もするし、あんなの百害有って一利なしだろう。いつ
も「やめてあげろ」と思う。犯人の名前を出すのだっ
て、実質的なメリットが有ることはほとんどない
し・・・まぁ、メディアは止めないだろうけどね。
ニュースは基本的にゴシップで、人はそれを求めて
る。
「他人の不幸は蜜の味」っていう言葉があるけど、
人の不幸を知って本気でニヤついてる人間が結構いる
らしいのには、驚かされる。私は他人の不幸を見ると
気持ちが沈むので、何が面白いのかさっぱりわからな
い。(煽り運転をした車が自爆するのとかは楽しんで
しまうけど)
他人の不幸が嬉しいなんて、比較して上か下かで
幸・不幸だとする観念にどっぷり浸っているんだろう
けど、そんなことを考えている人間こそ不幸だ。比較
していると、永久に満たされることはないからね。
ニュースを見て「良いニュースだ」と思うことは年
に数回しかない。「良いニュース」とは、誰からも文
句は出ないであろうニュースだと思うが、そういう
ニュースがごくわずかなのは、みんな自分の都合で物
事の良し悪しを決めて判断し行動していて、世の中が
揉めるから仕方がないだろう。
アメリカのドラマで「良いニュースと悪いニュース
があるが、どちらから聞きたい?」 というセリフが
よく有るけど、大抵「悪いニュース」の方が大きい。
そっちの方が刺激が有っていいのだろう。アタマは刺
激を求めている。そういう意味で「悪いニュース」
は“良いニュース”なんだろう。ゴシップがもてはや
されるわけだ。
ところで、価値判断が無い場合にニュースは生まれ
るだろうか?生まれないだろう。ニュースには、それ
を流す者の価値観が入っている。
良くも悪くもなく淡々とした事はニュースにならな
い。
「今日ここまでのニュースです。本日は日本全国、
特にお伝えするほどの事がない穏やかな日です・・・
以上終わり」そういうことになる。
ニュースは平和と相性が悪い。平和ならメディアは
無理にでも平和を乱そうとする。なぁに、メディアに
限らず人間は大体そうだ。平々凡々としてるとムズム
ズして、しなくていいことをし始めるんだから。で、
目出度く平和が乱れるとニュースが流される。
アタマは悪いなぁ。
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