テレビでもネットでも家庭や飲み屋でも、政治家や
識者だけにとどまらず、一般人もが社会をどうすべき
かと口をひらく。眼の前の具体的な問題については、
どうにかしなければならないだろうけど、社会全体を
どうすべきかなどという「理念」を語るのを聞くと、
私は不快になる。
私も社会について「こういうところは良くないから
少し変えたほうがいいな」などとは思うけれど、「社
会全体をこうすべき」という大きな理念などはない。
自分が普段考えていることを振り返ると、私は社会主
義者なんだろうなと思うけれど、その一方で、実際に
は社会主義は成立しないと考えているので、それを口
にはしないし、当然求めもしない。
社会主義であれ共産主義であれ資本主義であれ、民
主主義であれ専制主義であれ、アタマが考えることは
当のアタマが邪魔をするので必ず破綻する。なので私
は大きな理念など持たない。いや、持てない。私は自
分も含めて、人間を高く値踏みできない。(日本は実
質的社会主義国としてかなり上手くやってるとは思う
けど、この先どうなることやらわかったものではな
い)
「理念」というのは「理想とする考え」だろうけ
ど、「理想」が重んじられ「考え」が強固になるほど
身体性と感情と自然は軽んじられて「考え」は暴走し
始める。
「理想」がある程度の重さを持ってしまうと、自重
で社会の坂道を下って行き、誰も止められない。個人
のレベルなら、その暴走を静めることもあり得るけれ
ど、社会のレベルになると、重すぎてもうどうしよう
もない。先にはクラッシュが待っている。
老子に〈「治大國若烹小鮮」〜大国を治めるには小
魚を煮るようにしなければならない〜〉という言葉が
あるけれど、アタマで考えて社会をいじくると、自然
な成り行きを乱してかえってダメになる。2500年前に
老子がそう忠告しているのに、いまでもアタマは主導
権を持つ。仕方がない・・・社会を作っているのはア
タマだから。
端っことはいえ私も社会に属しているから、理不尽
なことや汚い振る舞いを見てしまうと、私もつい自分
にとって理想的なこと言いたくなってしまう・・・け
れど、それは何も良いものをもたらさない。ミイラ盗
りがミイラになるだけだ。アタマの暴走に多少なりと
もエネルギーを与えることになる。
口を開かず、手近なことだけを誠実に片付けていれ
ばいいのだと思っているのだけれど、私のアタマも悪
い。その巧妙さと、飽くことなき自惚れと執着は御し
難い・・・。
「口を出すな。手を出すな。自分の為、世の中の為
に・・・」と、今日も要らんことを口走る自分に苦笑
いをする。
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