「もう長いこと辛いことばかり・・・。この人生を変えられ
ないだろうか・・・」
そういうことを考えている人は多いでしょうし、人がそう思
うのも理解できる。けれど、人生というものを変えることなど
できないでしょう。そもそも人生というものは固定したもので
はなくて、日々刻々と変わり続けているものです。そんな変わ
り続けているものを「変えたい」と考えるのはへんな話です。
「いや、そういうことではなくて、辛いことが続く傾向を変
えたいんだ」
人生を変えたい人からは、そういう返答がありそうですね。
では、なにゆえに「辛いことが続く傾向」があるのでしょう
か?
自分が置かれてきた状況が、自分にとって辛いことが起きや
すいのでしょうか?
自分のパーソナリティが、辛いことを引き起こしやすいので
しょうか?
本当は辛いことではないことを、自分が「辛い」と感じてし
まいがちなのでしょうか?
状況が原因なら、その状況を変えなければなりませんが、大
変難しいことですね。あまり望みはなさそうです。
自分のパーソナリティが原因なら、自分のパーソナリティを
変えねばなりませんが、どう変えたらよいのかはなかなか分か
りませんし、変えるのもこれまた難しい。
自分が辛くないことを「辛い」と感じてしまっているのな
ら、受け止め方を変えなければなりませんが、これは先の二つ
よりも出来そうに思います(「辛い」と感じやすいのもパーソ
ナリティのひとつですが・・)。
難易度から言って、三番目の “受け止め方を変える” という
のは、まだどうにかできる見込みがありそうですね。
以前に、問題への対処法は三つしかない〈 逃げるか・許す
か・戦うか 〉だ。と書いたことがありますが、自分の身に起き
た出来事が辛いのは、許さないからですね。
頭を柱にぶつけた・・・。とても痛いですね。
いじめで頭を殴られた・・・。痛いですね。
両方とも痛いです。けれど、辛さはどうでしょう?自分でぶ
つけたのなら、辛さは後を引きませんね。 同じ痛さでもね。
これは一つの例ですけど、心に滲みるような「辛さ」という
ものは、突き詰めて考えれば人間関係の中に生まれて来るもの
です。他者との関りの中で、自分の望みが叶わない時や自分の
安定が崩された時に「辛い」と感じるのです。「辛さ」のうし
ろには人間がいます。見方を変えれば、その人との関係の中
で、自分は価値の無い人間だと感じる時、辛いのだとも言えま
す。
例えば、
〈妻から離婚を言い渡された…〉
自分の価値が否定されたのです。
例えば、
〈妻を亡くした・・・〉
妻を守ることができなかった自分を価値の低い人間だと感
じてしまう。
ブラック企業で長時間労働させられてボロボロ・・。からだ
も辛いけど、そこから抜け出す勇気や能力が無いことが情けな
くて辛い・・・。
何にせよ、人は自分や自分のしていることの価値を信じられ
ないことで辛くなる。価値を信じられれば、肉体を限界まで酷
使して、命がけでチョモランマに登っても心は辛くない。むし
ろ喜びを感じるぐらい。
そういうことを考えると、「人生を変えたい」と思う人は何
か自分の生き方・状況にそぐわない価値観を持っているので
しょう。そぐわないので、すぐに自分の価値が揺さぶられてし
まう。で「辛いことばかり・・・」ということになってしま
う。
自分の性分や体質・置かれている状況に見合った価値観を持
つか、価値などというものにリアリティを持たせないことで、
辛いことは消えてゆく。
価値の低い自分を許す。
無価値の自分を許す。
等身大の自分に甘んじる。
自分が無価値(ゼロ)になれば、まわりがプラスだろうとマ
イナスだろうと、すべては自分に付加されていることになる。
道元が言った「放てば手に満てり」とはそういうことでしょ
う。
実のところ、「人生を変えたい」と思っている人は自分を変
えたくはない人で、だからこそ人生の方を変えたいわけです。
人生を変えたいのなら、人生を変えようとすることをやめ
る。人生が変わってゆくことを止めようとすることもやめる。
それが逆説的に人生を変えてしまう。なぜならそれは自分が変
わることだから。そして、状況の持つ毒や自身のパーソナリ
ティの引っ掛かりも消して行く。
《あなた自身をどうしたら良いかなど知らなくていいとした
ら、なんと幸福な人生だろうか》 バーノン・ハワード
「いま、この辛い状況から手を引けというのか?そんなこと
したらめちゃくちゃになってしまう・・・」
アタマはそう言うでしょう。けれど、そう思う人はいままで
人生から手を引いたことなど無いことでしょう。
「人生はコントロールできる」
「人生をコントロールしなければ・・」
そういう思いに囚われている人は、人生から手を引くという
体験が自分に何をもたらすかを知らない。
自分の心臓や肺や胃袋が、コントロールしていなくても自分
を生かそうとしているというのに・・・。