2017年6月16日金曜日

諸悪莫作 衆善奉行

 昨日、広目天の絵に添えて「諸悪莫作 衆善奉行」と書き

ましたが、これは『法句教』にある言葉だそうです。しかし

何が〈悪〉で、何が〈善〉なのか?



 常識的に〈善〉と〈悪〉を振り分けたって、時代や状況に

よって変わってしまう。自分で「これが悪、これが善」と定

めたところで、果たして本当に得心がいくのか? 迷いなく

生きられるのか? これは、人間にとって最大の問題と云え

ます。



 私は「善を行う」よりも、「悪を成さない」ことの方に意

識を向けます。〈悪〉とは、“過剰”によって〈善〉を覆って

しまうことで現れるもので(または"過剰”そのもの)、

〈悪〉を成さなければ、おのずから〈善〉が立ち現われてく

るものと思うからです。人間の作為から離れたものは、絶対

〈善〉だと。


 考えれば当たり前の事で、“宇宙の存在・法則” を〈善〉

としなければ、話にならない。そこに乗っかって全ては動

き、人は生きている。それを否定してしまえば“宇宙の笑い

者”です。例え、わたしたちの考えからして不都合があろう

とも、宇宙の(自然の)あるがままを肯定し、〈善〉とせざ

るを得ない。もともと「世界は善である」と。


 とは言うものの、わたしたち人間は作為無しには生きるこ

とが出来ない。そこに〈苦〉がある。

 わたしたちが持たざるを得ない“作為”から、〈悪〉を除く

為に何を拠り所にすべきか? 何を〈悪〉と見做す目安とす

るか?

 やはり、「自他を損なわない」「自他を利用しない」とい

うことになるのでは?


 《 〈悪〉とは、「自他を損なうこと」

         「自他を利用すること」 》 


 「自他を損なわない」ということについては、別に説明は

要らないでしょう。人だけではなく、他の生き物も、物(無

生物)も苦しめない、傷付けないということですが、「自他

を利用しない」というのには、少し説明が要るでしょう。



 「他を利用しない」というのは、「自分の利益の為に、他

者を道具・手段にするな」ということで(ここには無生物を

含みません)、“他”の尊厳を踏みにじる行為です。しかし、

私は「自他を利用しない」としています。「自を利用しな

い」とはどういうことか?


 わたしたちの“アタマ”は、“自分”さえ利用するからです。

“アタマ”を満足させる為には、“自分”の都合などどうでもい

いのです。

 ドラッグの使用者を考えれば、すぐに納得して貰えるでし

ょう。それだけに留まらず、仕事でも遊びでも、“アタマ”の

満足(快感・安定)の為に自分を規制し、ムチャな事を強い

て、身体と心の健康を損なう。(実際、今私は少しめまいが

しているのに、これを書くのが止められません。バカです

ね)


 わたしたちは、いつも“アタマ”と話し合いながら生きなけ

ればなりません。「そっちの都合だけ押し付けるなよ」と常

に“アタマ”を監視しておく必要があります。アタマが身体と

心をコントロールし過ぎない様に、アタマをコントロールし

なければなりません

 しかし、“アタマ”は狡猾です。

 “アタマ”をコントロールしているつもりが、いつの間に

か“アタマ”が背後に廻っていて、“アタマ”にコントロールさ

れるというのがよくあるパターンです。


 《 わたしたちは、手段と目的を取り違えるのを

                  得意としている 》


 「平和の為に戦う!」とか「健康の為のダイエットにハマ

り過ぎる」とか。


 『テロ等準備罪』が成立しましたが、与党が真面目に国の

為を思っていたとしても、いずれ“手段と目的を取り違えて”

運用されるんでしょうね。(こんなブログ書いてる事自体が

問題になりそう・・・)

 なんだか、“アタマ”と身体の関係は、“政治”と市民の関係

と重なりますね。経営者と従業員とも・・。そう、そもそ

も“アタマ”が社会を創り、社会が“アタマ”を再生産するので

した。個人が小さな共同体に、それが大きな組織に、それら

が集まって自治体に、さらに国へと入れ子構造になってい

る。個人が自分の“アタマ”を野放しにすることが、権力の力

を無用に増大させている。個人が幸福を取り違えることで

結局生き辛い世の中をつくるのでしょう。
 

 「諸悪莫作 衆善奉行」

「諸々の悪を作る莫(なか)れ、多く(衆)の善を奉じて行

け」

 わたしたちは、〈悪〉を作るのです。

 〈善〉は元からあるものを受けて、信じ従って(奉ずる)

行くものです。

 この世界には、もともと〈悪〉は存在しません。わたした

ちが、自分で〈悪〉を信じ、自分で〈悪〉に力を与え、自分

で苦しむのです。
 

 広目天の"全てを見透す目”。

 実は、この世界にはそもそも遮るものなど無いのでしょ

う。

 わたしたち人間は、自分で作ったものに自ら取り巻かれ、

世界を見透せないものにしてしまっているだけなのであっ

て、広目天の目にそれは映らない。わたしたちは、どれほど

自身を飾っても、裸で広目天の前に立っているのでしょう。





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