2017年11月27日月曜日
タイムリミット
今日、ふと思った事がある。それは昔と今と何が一番違う
かということなんですが、それは何かというと “タイムリミ
ット” ということなんです。
人間がこの世に生まれてから、時代が進むにつれて、だん
だんと “タイムリミット” の設定が短くなって来たんじゃな
いかと。
特に、産業革命以降は急激に短くなり、この20~30年の
間にはそれがほぼ限界近くにまで短くなっているのでしょ
う。
要するに、「待てない」ということですね。
先進国では、人の寿命が大幅に延びて、人生のタイムリミ
ットは長くなっているのに、日々の様々な事柄のタイムリミ
ットはどんどん短くなっている。
昔なら、一軒の家を建てるのに一・二か月かかっていたの
が、今ではプレカットした材料をクレーンや電動工具を使っ
て、二・三日で建ててしまう。
北海道から送った荷物が、翌日には九州に届く。(二十年
程前にアメリカにギターを注文したら、5日で届いたのでビ
ックリした事がある)
日本の一般家庭に電話が普及し始めたのは50年ほどまえ
ですが、今や誰もがスマホを持ち、メールが来たらすぐに返
信しなければならない。(ちなみに、私はスマホはおろかケ
ータイさえ持ったことがありません。どうです、驚いたでし
ょう!・・・)
何から何まで早くなって、何でもかんでも待たなくてよく
なった。
と言いたいところですが、待たなくてよくなったのではな
くて、やはり「待てなくなった」のではないだろうか?
どこまでもスピードアップをめざし、結果を性急に求め、
対応を急がされ、あらゆる場面でタイムリミットが細かく限
界まで詰められる。
「常軌を逸してるなぁ~」などと思う事が、私なんぞは多
いんですが・・・。
(余談ですが、リニアモーターカーの計画は経営的に破綻
すると思ってます。あんな中途半端なもの、よく本気でやる
よね。行きがかり上、止められないんでしょうね)
こんなにスピードアップして大丈夫なの?
こんなに詰め込んで大丈夫なの?
こんなにキチンとしなくちゃいけないの?
みんな消耗してるんじゃないのかなぁ。
昨日、ネットのニュースを見てると、日本電産という会社
の社長が「大学は、企業の即戦力となる人材を生み出す様に
してくれ」という趣旨の発言をしてたけれど、あの人、サイ
コパスでしょうか?
人間の活動に派生して経済が生まれたのであって、経済の
為に人間が在るわけじゃないんですけどね。物事の本質とい
うものが完全に見えなくなっているようです。完全に、経済
の奴隷、操り人形になっているようですね。気の毒に。
現代のタイムリミットの短縮は、ほぼ100%、経済原理か
ら進んできたことでしょうが、経済から離れたところでも、
それが習い性になってしまっていて、日本人は待てなくなっ
てしまっている。(でも、行列するのは好きだよなぁ~。)
それでいいんでしょうか?
なんだか、大きな弊害を生んでいる様な気がしますが。
この頃は、「おおらかさ」なんて言葉をほんとに聞かなく
なりました。誰も使わない、というより使う場面が無いよう
です。「おおらか」という、人や状況がほとんど存在しなく
なったんでしょう。せいぜい「ゆるい」というぐらいです
ね。
どう考えても「おおらかな人」が多い方が、世の中は過ご
しやすそうなんですが、みんな忙しくて、予定が詰まってい
て、小さな失敗も許さなくて・・・、嫌な渡世だなぁ。
私の大好きな言葉があるんです。
《 世の中に寝るほど楽はなかりけり
浮世のバカは起きて働く 》
というんですけど、まぁ昔の言葉としてもかなり辛辣です
が、現代の日本でこれを言うと、本気で怒り出す人がたくさ
ん居そうですね。だって、その「浮世のバカ」さ加減が数層
倍になっていますからね、本人は良いことしているつもりで
しょうから、なおさらギャップが大きい。
起きて働いて、何になるんです?
しあわせに一生を過ごす為に、そんなに働かなければいけ
ないんでしょうか?
誰も彼もが、ほんとにいろんなことをして遊んだりしてい
ますが、ほんとに楽しいの?
「楽しい事になってる」から、楽しいと思うだけなのかも
知れないよ?
牛がゆっくりと草を食むように、オランウータンが静かに
木から木へ動いて行くように、人間も、ゆっくりと活動する
ことが出来るはずだし、そこには深い喜びもあるはずです。
しかし、現代の日本人の活動を見ていると、アリ塚の中を
覗いている様です。
日本人が消費しているエネルギーは、生物として生存に必
要なエネルギーの40倍ぐらいだそうですが、本来必要な量
の40倍のエネルギーを使って、クジラの様に過ごすという
のならまだしも、アリになってしまっている。
バカなんじゃないのかなぁ。
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