2018年7月4日水曜日

もうすぐ、スマホは飽きられるだろう


 この頃、スマホのCMを見ていて思う。

 「スマホも、もう煮詰まってしまったのね」と。

 CMで売りにしていることといったら、「高性能のカメラ

とその拡張機能」、すぐに飽きてしまいそうな子供だましの

「ツール」、ほぼそれだけ。インターネットの端末として音

声入力が可能になった時点で、スマホはもうそれ自体の魅力

を高めることが出来なくなったのだろう。今後も需要は伸び

て行くだろうけれど、先進国では頭打ちだろうね。新機種は

あまり売れないだろう。


 と、そんなスマホの将来など私にはどうでもいいのですが

(そもそもスマホを使わない)、人間がいかに飽きっぽいか

がよく分かるし、人間の求めているものなんて、時代が変わ

って道具が変わったところで本質的には同じだから、作り手

がどんなに「新しいもの」を提供しているつもりでも、「装

いが違う」だけのこと。その上に、時代の変化がとてつもな

く速くなっているから、あっという間に飽きられてしまう。

「で、お次はなんだ?」。


 歴史を振り返ればすぐに分かることだけど、人間は幾度と

なく同じことを繰り返している・・・。

 時代が進むと「装い」は変わるけれど、その性根は変わら

ず数千年が経った。資源の量に応じて、その “手の込み具

合” は変わったけれど、手が込んだ分だけその反作用も大き

い。結局、自分で  または自分の後の世代で  そのツケ

は払う事になるわけだけどね。(「ゴミ問題」と、「それ

よって “隠された” あるいは “抑圧された” 〈何か〉の反

逆」。  ここでは詳しく触れない)


 今は、二十一世紀。

 理解不能なスピードと量で情報が流通し、それにともなっ

て、信じられないスピードと量で物が流通する。

 情報であれ、物であれ、人は “あるもの” を右から左へ動

かすことを業(なりわい)にしている。大陸から大陸へ、試

験管から試験管へ、ある人の身体から別の人の身体へ・・。

 「業(なりわい)」という字は、そのまま「業(ごう)」

である。まぁ「持病」のようなものですね。

 何かちゃんとした理由や意義があって、そういうことをし

ているわけではない。単にわたしたち人間の「業(ごう)」

です。『持ったが病で、治らない』(by 山本夏彦)。


 人間のいちばん困ったところは、こんなに飽きっぽいのに

〈「飽きること」には飽きない〉ところでしょうか?

 ひとりの人間の寿命の中では、飽きるとこまで行かないの

かもしれないけれど(いえいえ、ほんとは十分「飽きる」と

思ってるけどね)、歴史を振り返ってみようよ。そして「飽

きよう」よ。


 「同じ事ばっかりやってるなぁ・・・。それにロクなこと

してないなぁ、人間は・・・。たまに良いことしているよう

でも、結局以前の失敗の穴埋めだなぁ・・・」
 

 歴史を観れば分かる。

 世界の歴史でも、自分の歴史でもいい。

 振り返ってみれば、いかにアタマが悪いかが分かる。

 そして、人間全体と、自分自身のアタマの悪さに飽きれば

いい。呆れ返ればもっといい。

 そうすれば、いままでとは違う「生きること」が始まると

思うんですが・・・、悲しいかな、以前私は次のように喝破

してしまった・・・。


 《人は歴史から学ばないという事を

              私は歴史から学んだ》


 でもね、個人のレベルでは、その歴史を覆すことだって有

り得ると思いますよ。そんな人が今まで何人も居たし、情報

の伝わる速度は昔と比べものにならないし、私たち市井の人

間からこそ、変わり始めるのかも知れない。

 鬱病や引きこもりやパニック障害や発達障害なんかが、増

えたり表沙汰になったりして来たのは、みんながもう「飽き

飽きして来始めた」からかもしれない・・・。人間のやって

来たことにね。


 あと3~4年もしたら、みんな「スマホをポケットに入れ

ているけど、必要がなきゃ出さない」なんてことになってい

るかもしれない。今は電車に乗っている九割の人間がスマホ

をいじっているけどね。

 それとも、その頃には “商売人” と “技術屋” が次の遊び

道具を生み出しているだろうか?

 私は、「難しい」とおもうな。


 飽きるんだよ。わたしたちは。何をやっても。
 

 この際、徹底的に飽きよう!

 いままでの「人間的な生き方」に。

 そして、飽きの来ない「本質的な生き方」を受けよう


 スマホの凋落が、その扉を開くかも知れない。

 というのは、楽観的すぎるかしら。

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