2018年11月4日日曜日

「苦しみ」を味わう


 〈「苦しみ」を味わう〉などと言うと、まるでマゾみたい

だけれど、そういう意味ではありません。


 お釈迦さまは「生きることは苦である」と喝破しました。

ということは、「苦しみ」は生きることの本質・生きること

そのものだとも言えます。

 生きている限り、わたしたちは尽きる事無く「苦しみ」に

出会う。「苦しみ」は無くならない。苦しくて当たり前。 

 ならば、「苦しみ」がやって来た時に、その「苦しみ」を

よく観察し、「苦しみ」と “苦しんでいる自分” がどのよう

にあるのかをしっかりと吟味し、それを味わってしまおう

と・・・。


 「生きることは苦である」のですから、「苦」を避けるこ

とは、「生」を避けることになります。


 かなりムチャなことを言っているようですね。誰だって苦

しみたくはないですからね。私も苦しみたくはない。

 けれど、生きることは苦しいのです。

 「苦しみ」は避けられないのです。

 苦しむしかないのです。

 だったら、どうせ苦しむのなら、腰を据えて「苦しみ」を

受け取ろうと・・。どうせ苦しむのなら「苦しみ」を味わっ

てしまおうと・・。

 「苦しみ」とはいったい何なのか?

 「苦しみ」の本質とは何なのか?

 「自分が苦しむ」とはどういうことなのか?


 実は、「苦しみ」の中にこそ “生きていることの実感” と

いうようなものが隠れているのではないか?



 エベレストに登ったり、ボクシングをやったり、わざわざ

苦しいことをする人がいっぱいいます。

 彼らはそこで、生きていることの充実感を感じているよう

です。「苦しみ」こそが生きている事の本質だからです。

 とはいうものの、そういった極端な行動は、脳内麻薬の作

用に病み付きになっている可能性が高い。

 わざわざ自分から「苦しみ」を求めて行かなくても、お釈

迦さまが言ったように「生きることは苦」ですから、放って

おいても、普通に生きているだけで「苦しみ」はやって来ま

す。私が言いたいのは、その普通にやって来る「苦しみ」を

味わってしまおうということです。

 「苦しみ」に対峙することで分泌される脳内麻薬の快感を

味わうのではなくて、「苦しみ」を観察・吟味し、それが

自分の生” を根こそぎにするものではないと認識すること

で、「苦しみ」から離れたところにある “自分の生” に気付

き、そこにある ”安らいでいる空間” に腰を据えようとする

ものです。


 「生きることは苦しみ」です。

 「苦しみ」は “生きることの本質” です。

 けれど、“生の本質” は「生きること」から離れたところ

にあります。


 わたしたちの日々の活動の中に「苦しみ」が生まれて来ま

す。

 わたしたちのまわりの変化が、わたしたちに「苦しみ」を

もたらします。

 けれど、それらの「苦しみ」は、わたしたちの活動の奥に

ある、わたしたちの “生” そのものには届かないのです。



 《  「“生きること” は苦しみである」けれど

       「 “生” は苦しみではない」のです 》



 前に、〈エゴサイド・ライフサイド〉という言葉を使いま

したけど(『ライフサイドに立って』2017/11/30)、“生

きること” は〈エゴサイド〉で起きている事で、“生” は

〈ライフサイド〉にあるものです(“生” のことを〈ライフ

サイド〉なんて「そのまま」ですが・・・)。

 本当は、〈エゴサイド〉で起きている事が〈ライフサイ

ド〉に干渉することはないのです。“生きること” ・ “暮ら

すこと” とは違う次元に、わたしたちの “生” は在る。


 「苦しみ」がやって来ると、精神的に身体的に確かに「苦

しい」。それは嘘ではない。けれど、そのような「苦しい」

状況の中で、「苦しい」自分を俯瞰しているような、「わた

しは苦しんでいるな・・」と苦しんでいる自分を後ろから見

ているような存在があるはずです。そこに私たちの “生” の

本質が在る。そこが〈ライフサイド〉です。

 〈エゴサイド〉で起こることは「苦」です。そこに居続け

れば当然「苦しみ」を受け続けることになります。時には自

ら死を選ぶほどに・・。

 だから・・、「生きることは苦しみ」だから、「生きるこ

と」から一歩退く・・。

 退いて、「生きること」から「生きていること」に立ち位

置を移す・・、“生” の側に、〈ライフサイド〉に立って、

「生きること」を眺めてみる・・・。


 「ああ・・。わたしはこんな事が苦しいんだ・・」

 「ああ・・。人はこんな事を苦しむんだ・・」

という具合に・・・。

 そこには「苦しみ」とは違う次元にある自分が在るはずで

す。


 「苦しみ」とは、わたしたちが生きている上で起こるべく

して起こる出来事です。そしてその中の精神的な「苦しみ」

のほとんどは、わたしたちの〈アタマ〉が不用意に作り上げ

てしまうものです。


 「苦しみ」がやって来たら、それはある意味〈チャンス〉

です。

 それを、味わい・観察し・吟味することで、”生” の存在

が際立ちます。“生” に立ち返り、“生” に安らぐことが出来

ます。


 どうせ「苦しみ」は何度も何度もやって来ます。

 それが「生きること」ですから・・。
 

 味わっちゃいましょうよ。

 〈ライフサイド〉に立って・・、他人事のように・・・。




 

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